2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧

 ホルワード.P『ドゥルーズと創造の哲学』(5)

『アンチ・オイディプス』では、国家は、国家が規範化と調整を幇助する社会的行為の領域を監視し続ける一種の集合的超自我として描かれる。国家に管理された主体は、今や労働の疎外に、すなわち、つねにあるべきところにない[という地位を与えられた]去勢さ…

 ホルワード.P『ドゥルーズと創造の哲学』(4)

結局のところ、現働的な被造物の産出は、創造が存在するということの、一つの原理的な相である。被造物はそれ自体、その偽造ないし劣化というよりはむしろ、超克されるべきより劣った現実であるよりはむしろ、創造の一つの相である。内包[強度]的差異は外延…

バウマン.Z『アイデンティティ』(8)

近代の歴史は、人間が思いのままに変更し、人間のニーズや欲望にあったものに「改良」できるものの限界をさらに押し広げる、持続的な取り組みの歴史でした(そしてそれは今日も変わりません)。それは、無効にされ、完全に放棄されるまでの究極の限界に挑む…

バウマン.Z『アイデンティティ』(7)

人間の条件には、一回限りの形で与えられるものもなければ、要求や改善の権利を与えられていないものもないという考え方――最初に「作られる」必要があるものはすべて、いったん作られた後でも絶えず変更できるという考え方――は、近代の初めから生まれていま…

バウマン.Z『アイデンティティ』(6)

もっとも広範にまた熱烈に望まれている目標が、領土、もしくはカテゴリー上の地域の「内部」と「外部」の間に、深くて通行不能な溝を掘ることです。外部とはつまり、嵐やハリケーン、冷たい突風、道端での奇襲、いたるところに溢れる危険のことであり、内部…

バウマン.Z『アイデンティティ』(5)

「社会」はもはや、人間の試練や過ちに対する、厳格で妥協のない、ときには厳しくて無慈悲であっても、公正で信念を持った審判であるとはみなされていません。それは、たとえチャンスを与えられても、可能な場合にはルールを鼻であしらう、とりわけ、人生と…

バウマン.Z『アイデンティティ』(4)

全体的に見ても、工場の集会所や構内はもはや、根本的な社会変化の望みを託すのに十分な在庫を確保してくれそうにありません。以前にも増して脆弱で不安定な資本主義的事業構造と雇用労働のルーティンが、その内部で、多様な社会的剥奪と不公正を(結びつけ…

バウマン.Z『アイデンティティ』(3)

自らの労働・資本集約的作業の大半をグローバル市場に委ねてしまった国家は、愛国的な熱情の備蓄を必要としなくなっています。近代国民国家の資産をぬかりなく監視していた愛国的な感情ですら、市場の力に譲歩せざるをえず、スポーツ興行主、ショービジネス…

バウマン.Z『アイデンティティ』(2)

アイデンティティは、一つの作業として、いまだ完遂されていない未完の作業として、声高な呼びかけ、義務や行動に駆り立てるものとして、はじめて、生活世界に組み入れられたのです。そして、発生期の近代国家は、その領土主権の範囲内のすべての人々に対し…

バウマン.Z『アイデンティティ』(1)

アイデンティティ作者: ジグムントバウマン,Zygmunt Bauman,伊藤茂出版社/メーカー: 日本経済評論社発売日: 2007/07メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 32回この商品を含むブログ (14件) を見るIdentity: Coversations With Benedetto Vecchi (Themes for …

 『ポストフォーディズムの資本主義』(5)

言語的動物の(自己)破壊衝動がつねに新たに国家的綜合を増強させ完成させる、という弁証法的図式を捨て去ろうとして、現代の批判哲学ーーチョムスキーからフランスのポスト構造主義までーーは、おのれの地平から弁証法とともに(自己)破壊衝動をも完全に削除…

 『ポストフォーディズムの資本主義』(4)

しかし現在の資本主義社会では、教育には終りがありません。それは通奏低音のように、生産活動のあらゆる段階に伴っています。むしろ、生産活動を補完しているのであり、労働はある程度まで再=教育だと言えるでしょう。社会学のアンケート調査からも知られる…

 『ポストフォーディズムの資本主義』(3)

さまざまな世界内経験においてつねに〈空虚〉の感覚が浮かび上がります。この「空虚」は、細部まで一貫した環境の不在に他なりません。したがって、いわゆる筆舌に尽くしがたい「精神的」なものではないのです。むしろ非常に生物学的な「空虚」です。空虚は…

 『ポストフォーディズムの資本主義』(2)

潜在的な動物、したがって未分化な動物、おそらくこれが「人間的自然」の定義です(大まかなものですが)。それは比喩的なものではなくまさに狭義の意味で、メタ歴史的な、生物学的な定義、「クロマニョン人以来」の不変項なのです。ともかく以上は、認知科学(…

 ヴィルノ.P『ポストフォーディズムの資本主義』(1)

ポストフォーディズムの資本主義―社会科学と「ヒューマン・ネイチャー」作者: パオロヴィルノ,Paolo Virno,柱本元彦出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2008/03メディア: 単行本購入: 3人 クリック: 46回この商品を含むブログ (22件) を見る 生物学とポストフ…

 デ・リーヴス.H『暴力と証し』(4)

キルケゴールの論理である〈知性の供犠〉とは、殉教の死という〈知性の供犠〉、〈自らに(ある種の)死を与えること〉という〈知性の供犠〉である。同様に、絶望、証し、殉教は、直接的に、〈死〉や〈死に至る病〉に関係しており、その療法は信仰の中に(あるい…

 デ・ヴリース.H 『暴力と証し』(1)

暴力と証し―キルケゴール的省察 (暴力論叢書 4)作者: ヘント・デヴリース,Hent de Vries,河合孝昭出版社/メーカー: 月曜社発売日: 2009/05メディア: 単行本 クリック: 5回この商品を含むブログ (4件) を見る 「暴力」のこの別の意味とは何であろうか。それは…

コーリー.О『キルケゴール』(2)

無垢の状態にあって、永遠的なものと時間的なものとが「永遠の現在」のうちで合わさるわけではあるが、そうだとするとこの両者は、瞬間が関係の表現のあるような関係の措定を貫いてはじめて実質的な総合のうちに入ってくることになる。……瞬間とは総合そのも…

 デ・ヴリース.H 『暴力と証し』(3)

キルケゴールは次のことを明確にする。この不条理、この「可能的なもの」は、「悟性に固有な領域の中にある諸々の区別に馴染むものではない。この不条理は、ありそうにないこと、予期されざるもの、不測のことといったことどもと同一ではないのである」。そ…

 コーリー.О『キルケゴール』(1)

キルケゴール (文庫クセジュ)作者: オリヴィエコーリー,Olivier Couly,村上恭一,小林正巳出版社/メーカー: 白水社発売日: 1995/01メディア: 新書 クリック: 3回この商品を含むブログ (2件) を見る 「私に本当に欠けているのは、私は何をなすべきか」というこ…

 キルケゴール.S『反復』

反復 (岩波文庫)作者: S.キルケゴール,Soren Kierkegaard,桝田啓三郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1983/06メディア: 文庫 クリック: 26回この商品を含むブログ (10件) を見る ところが、人生は反復であり、そして反復こそ人生の美しさであることを理解…

 キルケゴール.S『現代の批判』(2)

公衆は、ひとつの国民でも、ひとつの世代でも、ひとつの同時代でも、ひとつの社会でも、この特定の人々でもない。これらはすべて、具体的なものであってこそ、その本来の姿で存在するのだからである。まったく、公衆に属する人はだれ一人、それらのものとほ…

 デ・ヴリース.H 『暴力と証し』(2)

それではわれわれは、どこから暴力が始まり、滞留し、終わるのか、そして暴力がまさに何に(あるいは誰に)向けられているのかということを正確に知っているのだろうか。それはカント的意味での〈理性の事実Faktum〉なのであろうか。それは例えば「生の事実」…

 キルケゴール.S『不安の概念』(1)

不安の概念 (岩波文庫)作者: キェルケゴール,斎藤信治出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1979/07/16メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 44回この商品を含むブログ (14件) を見る 無垢は無知である。無垢においては人間は精神として規定せられているのではな…

 キルケゴール.S『死に至る病』(4)

かくて彼は絶望する、というのは、奇妙な顛倒と完全な自己欺瞞によって、彼はそれを絶望と名づけるのである。けれども絶望とは永遠的なるものを喪失することである、ーー彼はこの喪失について語ることをしない、いなこの喪失のことなど夢想だにしないのであ…

 キルケゴール.S『死に至る病』(3)

自己は無限性と有限性との意識的な綜合であり、自己自身に関係するところの綜合である。自己の課題は自己自身となるにある、ーーこれは神への関係を通じてのみ実現せられうるのである。ところで自己自身となるというのは具体的になることの謂いである。だが…

 キルケゴール.S『死に至る病』(2)

「死に至る病」というこの概念は特別の意義のものと考えられなければならない。普通にはそれはその終局と結末とが死であるような病の謂いである。そこでひとは致命的な病のことを死に至る病と呼んでいる。こういう意味では絶望は決して死に至る病とは呼ばれ…

 キルケゴール.S『現代の批判』(1)

現代の批判―他一篇 (岩波文庫 青 635-4)作者: セーレン・キルケゴール,桝田啓三郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1981/02/16メディア: 文庫 クリック: 2回この商品を含むブログ (5件) を見る 革命時代は本質的に情熱的である。したがってそこには作法の概…

 キルケゴール.S『不安の概念』(4)

内面性・確信が真剣さである。これは些か見すぼらしく思われる。もしも私が、真剣さは主観性である、純粋な主観性である、普遍的な主観性である、とでもいったとしたら、私は必ずや多くの人を真剣にするでもあろう何事かを言ったことになるであろう。ところ…

 キルケゴール.S『不安の概念』(3)

瞬間はいかなる過去的なるものをも未来的なるものをももたぬところの現在的なるものそのものを意味している。まさしくこの点に感性生活の不完全性が存している。永遠もまたいかなる過去的なるものをも未来的なるものをももたぬところの現在的なるものである…