2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

 〈詩〉と〈歌〉をめぐる〈共時性〉への考察―儒家言語論と国学言語論の「時空間」

興味のある方はPDFファイルでダウンロードして下さい。1.問題設定これまでの国学における歌論をめぐる研究は、本居宣長の「もののあはれ」論を頂点にして考えられてきた。→そのような議論から、抜け出すための模索。日本文学研究を参照にすれば、漢詩論と歌…

 イ・ヨンスク『「ことば」という幻影』輪読(4)

興味のある方は、PDFファイルでダウンロードしてください。【担当範囲】第8章「国語」ということばの新しさ第9章「日本語」と「国語」のはざま第11章「国語」と言語的公共性◎ 第8章「国語」ということばの新しさ 柳田が「新しい漢語」というときの「新し…

 イ・ヨンスク『「ことば」という幻影』輪読(3)

興味のある方はPDFファイルをダウンロードしてください。【担当範囲】 3章「東京語」の表象と成立4章 柳田国男と「国語」の思想・13章 多言語主義と言語的民主主義◎ 「東京語」の表象と成立 J・Cヘボンは……「首府であり、天皇や文化人の住む京都のこ…

 イ・ヨンスク『「ことば」という幻影』輪読(2)

興味のある方はPDFファイルをダウンロードしてください。 【本章を取り上げた理由】 近年主張されている「東アジア漢字文化圏」という言説をいかに問題できるのか。それを考えるためのヒントとして、各章を選んだ。今回もポイントを絞りながら検討を加え…

イ・ヨンスク『「ことば」という幻影』を読む―〈国語〉と〈言語的マイノリティ〉をめぐる考察―

「ことば」という幻影作者: イヨンスク出版社/メーカー: 明石書店発売日: 2009/01/30メディア: 単行本 クリック: 11回この商品を含むブログ (6件) を見る興味のある方はPDFファイルでダウンロードして下さい◎担当箇所 第6章「『正音』の帝国」・第7章「国…

 【研究紹介】キム・スング『李箱、欲望の記号』(ウォルイン社、2004年)を読む

興味のある方は、PDFファイルで、ダウンロードして下さい。1.要約序論 1.研究史の検討と問題提起 第四章 分裂経験の記号としての「女性」 1−1 売春婦の仮面イメージ 5.結論※ 報告者の力量もあるため、重要な箇所であるところを原文引用しながら、適宜…

 「国文学研究」を問い直すということ/問い続けるということ

「国文学」の思想―その繁栄と終焉 (学術叢書)作者: 笹沼俊暁出版社/メーカー: 学術出版会発売日: 2006/02メディア: 単行本 クリック: 20回この商品を含むブログ (4件) を見る興味のある方はPDFファイルで、ダウンロードしてください。1いま書店を見渡すと、…

 「韓流」で〈朝鮮〉は死んだのか?―中根隆行『〈朝鮮〉表象の文化誌』を読んで

“朝鮮”表象の文化誌―近代日本と他者をめぐる知の植民地化作者: 中根隆行出版社/メーカー: 新曜社発売日: 2004/04メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 12回この商品を含むブログ (3件) を見るPDFファイルを興味があればダウンロードして下さい。1今年9月に公…

 安田敏朗『国文学の時空―久松潜一と日本文化論』

国文学の時空―久松潜一と日本文化論作者: 安田敏朗出版社/メーカー: 三元社発売日: 2002/04メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 7回この商品を含むブログ (3件) を見るPDFファイルで、ダウンロードできます。190年代以降、国民国家論やカルチュラル・スタデ…

長谷川亮一著『「皇国史観」という問題』

「皇国史観」という問題―十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策作者: 長谷川亮一出版社/メーカー: 白澤社発売日: 2008/01メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 20回この商品を含むブログ (7件) を見るPDFのファイルをダウンロードしていた…

〈サハリン/樺太〉という複数のクロノトポスーチェーホフ・譲原昌子・李恢成ー

レジュメダウンロード1.はじめに 本報告で取り上げる人物は、その名声を勝ち得た人物もいれば、ほとんど研究者以外には知られていない人もいる。だが、本報告で分析する三人の作家は、〈サハリン/樺太〉というトポスのなかで、身を置き、固有の〈体験〉を…

 鷺沢萠を《非‐在日文学》として読むこと

これもPDF化されているので、ご参照ください。――だから結局韓国ってさ・・・・・・。 ボトルはあらかた空に なりかけている。かなり酔っているらしい義成が、後ろに伸ばした腕を突っぱって体重を支えるようにしながら言いかけた。その続きはもう聞きたくなかった。…

 「宣長」というアポリアへの斬新な挑戦―友常勉著『始原と反復―本居宣長における言葉という問題』

始原と反復―本居宣長における言葉という問題作者: 友常勉出版社/メーカー: 三元社発売日: 2007/07メディア: 単行本 クリック: 16回この商品を含むブログ (2件) を見る本居宣長という存在は、日本思想史におけるアポリアとしてあり続けている。夥しいまでに高…

 中井久夫『世に棲む患者』(2)

同 私は、いわゆる"社会復帰"には、二つの面があると思う。一つは、職業の座を獲得することであるが、もう一つは、"世に棲む"棲み方、根の生やし方の獲得である。そして、後者の方がより重要であり、基礎的であると私は考える。すなわち、安定して世に棲みう…

 中井久夫『世に棲む患者』(1)

世に棲む患者 中井久夫コレクション 1巻 (全4巻) (ちくま学芸文庫)作者: 中井久夫出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2011/03/09メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 24回この商品を含むブログ (20件) を見る「世に棲む患者」より。 まったく、経験、それも…

 バトラー.J『自分自身を説明すること』(9)

暴力は物理的な可傷性を浮き彫りにする。私たちはその可傷性から逃れることができないし、そうした可傷性を主体の名において最終的に解消することもできない。可傷性は、私たちの誰もが完全に拘束され、まったくバラバラに引き離されているわけではなく、む…

 バトラー.J『自分自身を説明すること』(8)

「第三章 責任=応答可能性」より。 少し考察しておきたいのだが、「責任=応答可能性」ということで私が指しているのは、単に怒りの内面化や超自我の支えである強化された道徳感のことではない。まして、私が言及しているのは、自分が被ったことの原因を自分…

 バトラー.J『自分自身を説明すること』(7)

もしある人々が仮定するように、語りが、私たちのものである生を私たちに与えるのだとすれば、あるいは、その生が語りのかたちで生起するのだとすれば、そこには何が残るのだろうか。生の「ミメーシス」は必ずしもその語りの形式のことではない。物語を語り…

 バトラー.J『自分自身を説明すること』(6)

こうした避けがたい倫理的失敗から新たな倫理の意味が現れることは可能だろうか。私は、新たな倫理は可能であり、それは認識そのものの限界を認めようとするある種の意志によって生み出されるだろう、と示唆しておきたい。自分自身を知り、提示すると主張し…

 バトラー.J『自分自身を説明すること』(5)

「第二章 倫理的暴力に抗して」より。 倫理的暴力は、私たちが自己同一性を絶えず明示し、維持するよう要求するのであり、また他者にも同じことを要求する。これは、避けがたく時間の地平内で生きる主体にとって満たすことが――不可能ではないにせよ――困難な…

 バトラー.J『自分自身を説明すること』(9)

暴力は物理的な可傷性を浮き彫りにする。私たちはその可傷性から逃れることができないし、そうした可傷性を主体の名において最終的に解消することもできない。可傷性は、私たちの誰もが完全に拘束され、まったくバラバラに引き離されているわけではなく、む…

 バトラー.J『自分自身を説明すること』(8)

「第三章 責任=応答可能性」より。 少し考察しておきたいのだが、「責任=応答可能性」ということで私が指しているのは、単に怒りの内面化や超自我の支えである強化された道徳感のことではない。まして、私が言及しているのは、自分が被ったことの原因を自分…

 バトラー.J『自分自身を説明すること』(7)

もしある人々が仮定するように、語りが、私たちのものである生を私たちに与えるのだとすれば、あるいは、その生が語りのかたちで生起するのだとすれば、そこには何が残るのだろうか。生の「ミメーシス」は必ずしもその語りの形式のことではない。物語を語り…

 バトラー.J『自分自身を説明すること』(6)

こうした避けがたい倫理的失敗から新たな倫理の意味が現れることは可能だろうか。私は、新たな倫理は可能であり、それは認識そのものの限界を認めようとするある種の意志によって生み出されるだろう、と示唆しておきたい。自分自身を知り、提示すると主張し…

 バトラー.J『自分自身を説明すること』(5)

「第二章 倫理的暴力に抗して」より。 倫理的暴力は、私たちが自己同一性を絶えず明示し、維持するよう要求するのであり、また他者にも同じことを要求する。これは、避けがたく時間の地平内で生きる主体にとって満たすことが――不可能ではないにせよ――困難な…

 バトラー.J『自分自身を説明すること』(4)

確かに私たちは、まだ自分の物語を語ることができるし、まさしくそうしなければならない多くの理由が存在するだろう。しかし、ある語りの構造をそなえた完全な説明を行おうとするとき、私たちはそれほど権威的であることはできないだろう。「私」は、自分が…

 バトラー.J『自分自身を説明すること』(3)

『道徳の系譜学』でニーチェは、私たちがいかにして自分の行為に反省的になれるか、また私たちは自分が行ったことを説明するために自分をいかなる位置におくか、という点をめぐって論争含みの説明を提示している。彼は、私たちは何らかの傷を受けた後に初め…

 バトラー.J『自分自身を説明すること』(2)

アドルノは、実存する個人の立場と意味を力説し、また道徳性の我有化という作業の不可欠さを力説するのに加えて、倫理的暴力の諸形式に反対する点で、ほとんどキルケゴール的である。しかし、アドルノはむろん、その正反対の立場に見られる誤りに対して警告…

 バトラー.J『自分自身を説明すること』(1)

自分自身を説明すること―倫理的暴力の批判 (暴力論叢書 3)作者: ジュディスバトラー,佐藤嘉幸,清水知子出版社/メーカー: 月曜社発売日: 2008/08/06メディア: 単行本購入: 12人 クリック: 87回この商品を含むブログ (30件) を見るGiving an Account of Onesel…

 ハンガリーの窮状と危機にかんする声明(転載)

リンク元→https://ssl.form-mailer.jp/fms/f4072aad141717この声明に関しては署名活動もしています。以下転載していただきます。 ハンガリーの窮状と危機にかんする声明私達は、「体制転換」以後の貴国の状況を希望と憂慮とをもって見つめて参りましたが、昨…