マラブー

 マラブー.C『わたしたちの脳をどうするか』(7)

わたしたちの脳は可塑性(プラスティック)である、だがわたしたちはそのことを知らない。この力学、この組織体、この構造について、わたしたちはまったく無知なのだ。わたしたちはいまだに「すっかり遺伝的に決定されている脳の〈硬直性〉」を信じ続けてお…

 マラブー.C『わたしたちの脳をどうするか』(6)

しかし、同様に考慮しなければならないのは、読む側が実際に運動図式をもっているか否かによって著しく変化する、読解可能なものと読解不可能なもののある種の関係です。何ひとつ期待することなく専門的なテクストに向かい合うことと、警戒しつつ、採取すべ…

 マラブー.C『わたしたちの脳をどうするか』(5)

わたしは辞書でPolymorpheという単語の正確な定義を調べてみました。するとこの語は単に受動的に形をなす性質を意味し、あらゆる仮面を被ることのできる海神プローテウスの本質的属性を指すものでした。リオタールはこの形容詞を不当に弁証法的主体に当ては…

 マラブー.C『わたしたちの脳をどうするか』(4)

日本語版インタヴュー「わたしたちの可塑性をどうするか」より。 わたしが可塑性という概念を発見したのは一九八四年、ジャン=フランソワ・リオタールの『文の抗争』(一九八三年出版)を読んだときです。……『文の抗争』のなかで、リオタールはへーゲルに「…

 マラブー.C『わたしたちの脳をどうするか』(9)

脳を疎外の脅威から免れさせるためには、脳が硬直した構造でも、中央集権化した機械でもないと示すだけでは不十分である。実際、ネオリベラルのイデオロギー自体が、今日複数の中心を再分配し、序列を著しく緩和することに立脚しているのである。見かけのう…

 マラブー.C『わたしたちの脳をどうするか』(3)

もちろん神経科学と哲学のあいだには、少なくともデカルト以来の歴史があることは確かであるが、ここで著者が立脚しようとしているのは、近代以降に構成されてきた哲学や科学の歴史ではなく、「脳そのものが歴史である」という見方だ。そしてその見方を可能…

 マラブー.C『わたしたちの脳をどうするか』(2)

そのことは、「わたしたちの脳をどうするか」というタイトルにも、はっきりと示されている。脳は「わたしたちの」脳として扱わなければならない。教育から医療まで、ニューロサイエンスの研究は社会に直接関わる事柄を多く含んでいるから、この問いが社会的…

 マラブー.C『わたしたちの脳をどうするか』(8)

人間は自分自身の脳をつくり出す、そうしていることを知らないままに。わたしたちは脳の可塑性について何も知らないでいる。逆に、ある種の労働の組織化――パートタイム、仮契約、機動性や完全な順応性の要求……等等ーーについては、何ひとつ知らないことはな…

 マラブー.C『わたしたちの脳をどうするか』(1)

わたしたちの脳をどうするか―ニューロサイエンスとグローバル資本主義作者: カトリーヌマラブー,Catherine Malabou,桑田光平,増田文一朗出版社/メーカー: 春秋社発売日: 2005/06メディア: 単行本購入: 5人 クリック: 81回この商品を含むブログ (22件) を見る…