マラブー.C『わたしたちの脳をどうするか』(6)

しかし、同様に考慮しなければならないのは、読む側が実際に運動図式をもっているか否かによって著しく変化する、読解可能なものと読解不可能なもののある種の関係です。何ひとつ期待することなく専門的なテクストに向かい合うことと、警戒しつつ、採取すべき箇所、証拠、手掛かりを待ちながら同じテクストに向かい合うことはまったく違います。十分に有効な可塑性の図式を手にして以来(図式はベルクソンにとって運動の先触れあるいは開始であることを思い出しましょう)、わたしはすぐに、科学のテクストのなかでこの図式が捉えるように要求するものを取り出し、この図式の力学に何ひとつもたらさないものを捨てることができるようになりました。ドゥルーズはきわめて正当に、思考することは、結局必要なものを必要なときに取り出せることなのだと言っています。困難にうまく適応し、自分が理解できるものとできないものを正確に決定しうる積極的な読み方が存在するのであって、それはあたかも、欲望に応じてエネルギーをとらえる無意識の戦略に応答しているかのようです。それにご存知のように、専門的な事柄というものは、けっして乗り越えられない障害ではないのです。(p174-p175)