2013-01-01から1年間の記事一覧

良いお年を

今年を振り返っても、あまり意味がありませんから、今年の事はもう忘れることにしました。 今はたとえ取り巻く生活の環境が厳しくても、とりあえず「匍匐前進」でも「前進」なら、それは「前進」には違いないので、自分の「やるべき事」を来年も続けていくし…

地域の支援センターへ

地域の支援センターで面談。相談員の方は親身になってくれて、二度目でようやく互いの緊張も解けた感じ。少しずつ話をする中で、展望も見えてくると思いますので、今は耐えるしかなさそうです。帰宅したら、少し疲労が溜まり眠りこけていました。軽めの読書…

アガンベン.G『ホモ・サケル』(1)

ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生 作者: ジョルジョアガンベン,Giorgio Agamben,高桑和巳 出版社/メーカー: 以文社 発売日: 2007/04/10 メディア: 単行本 購入: 2人 クリック: 72回 この商品を含むブログ (19件) を見る Homo Sacer 作者: Giorgio Agambe…

アガンベン.G『ホモ・サケル』(2)

例外関係は、一つの締め出し関係である。実のところ、締め出された者は、単に法の外に置かれて法の外に置かれて法と無関係なものとされるのではない。彼は法によって締め出され遺棄されるのであり、生と法、外と内が混同されるこの境界線に露出され危険にさ…

アガンベン.G『ホモ・サケル』(3)

現代が思考に課している務めとは、意味のない効力としての法を、極端かつ乗り越え不可能な形式として単に認めることではありえない。そのような認識にとどまる思考はすべて、我々が主権の逆説(あるいは主権的締め出し)と定義づけた存在論的構造を反復する…

アガンベン.G『ホモ・サケル』(4)

我々は今日、人道的なものと政治的なものが分離されているという状況を経験しているが、これは人権と市民権の分裂の様相である。今日、超国家組織の活動としだいに並ぶようになっている人道的組織も、結局は人間の生を、剥き出しの生ないしは聖なる生という…

アガンベン.G『ホモ・サケル』(5)

難民という概念(および難民が表象する生の形象)を人権概念からきっぱりと分離しなければならない。また、人権の命運を近代国民国家の命運と結びつけるアーレントのテーゼ、近代国民国家の衰退と危機は必然的に人権が使いものにならなくなっていることを含…

アガンベン.G『例外状態』(1)

例外状態 作者: ジョルジョアガンベン,Giorgio Agamben,上村忠男,中村勝己 出版社/メーカー: 未来社 発売日: 2007/10 メディア: 単行本 購入: 2人 クリック: 23回 この商品を含むブログ (26件) を見る Lo stato di eccezione 作者: Giorgio Agamben 出版社/…

アガンベン.G『例外状態』(2)

本研究では、「例外状態」(stato di eccezione)という語句を、それについての定義の提唱がなされる法的諸現象の一貫した総体を指すための専門用語として使用するだろう。……もし用語法が思考のまさに詩的な契機であるとするならば、用語の選択はけっして中…

アガンベン.G『例外状態』(3)

しばしば例外状態を特徴づける言葉として用いられる「全権」(pleins pouvoirs)という表現は、統治の諸権限の拡張に、そしてとりわけ法律-の-力をもった政令を布告する権限を執行部に付与することに関連している。この表現は、近代公法の用語体系にとって…

アガンベン.G『例外状態』(4)

例外状態の問題はレジスタンスの権利と問題と明らかな類似を呈している。とりわけさまざまな憲法制定議会の場では、憲法の条文にレジスタンスの権利を盛り込むことが適切か否かをめぐって、多くの議論がなされた。現行イタリア憲法の草案には、次のような条…

アガンベン.G『例外状態』(5)

まずもっては、用語上のいくつかの指摘をしておきたい。一九二一年の著作〔『独裁』〕においては、例外状態は独裁という形象によって提示されていた。しかしながら、自らのうちに戒厳状態を含むこの形象は、本質からして「例外状態」なのである。そして、「…

アガンベン.G『例外状態』(6)

このようにひとつの外部を法のうちに書きこむ操作をしているのは、『独裁』においては、委任独裁にとっての法規範と法実現(Rechtsverwirklichung)規範とのあいだの区別であり、主権独裁にとっての自らの憲法へと構成する権力と憲法へと構成された権力との…

アガンベン.G『例外状態』(7)

『政治神学』においては、例外状態を法秩序のうちに書きこむ操作をしているのは、法の二つの基本的要素のあいだの区別、すなわち規範(Norm)と決定(Entscheidung,Dezision)とのあいだの区別でもある。例外状態は、規範を停止することで、「決定という特殊…

アガンベン.G『例外状態』(8)

例外状態をめぐってのベンヤミン=シュミット関係書類における決定的な文書は、まちがいなく、ベンヤミンによってその死のわずか数ヶ月前に作成された歴史の概念についての第八テーゼである。そこには次のように書かれている。「被抑圧者の伝統はわたしたち…

アガンベン.G『例外状態』(9)

この光に照らして王の二つの身体についてのエルンスト・カントローヴィチの理論〔『王の二つの身体』(一九五九年)〕を再読し、いくつかの訂正をほどこしておくべきだろう。カントローヴィチは、彼がイギリスとフランスの君主政体のために復元しようと努め…

アガンベン.G『例外状態』(10)

この調査――「わたしたちがそのなかに生きている」例外状態という緊急性のただなかにあっての――目的は、わたしたちの時代の第一級の支配の奥義(arcanum imperii)を管轄している擬制を明るみに出すことだった。権力の「玉手箱」(arca)がその中心に内包して…

アガンベン.G『アウシュビッツの残りのもの』(1)

アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人 作者: ジョルジョ・アガンベン,上村忠男,広石正和 出版社/メーカー: 月曜社 発売日: 2001/09 メディア: 単行本 購入: 3人 クリック: 64回 この商品を含むブログ (54件) を見る Quel che resta di Auschwitz. …

アガンベン.G『アウシュビッツの残りのもの』(2)

責任の概念も、手のほどこしようがないくらい法律に汚染されている。法律の領域の外でその概念を用いようとしたことがある者は、だれでもそのことを知っている。それでもなお、倫理、政治、宗教は、法的責任から領土を引き離すことによってようやく、みずか…

アガンベン.G『アウシュビッツの残りのもの』(3)

現代における死の零落について、ミシェル・フーコーは、政治用語を使ってひとつの説明を提示している。それは死の零落を近代における権力の変容に結びつけるものである。領土の主権という伝統的な姿のもとでは、権力は、その本質において生殺与奪の権利とし…

アガンベン.G『アウシュビッツの残りのもの』(4)

かつてモーリス・ブランショは〔『終わりなき対話』)のなかで〕アンテルムの著作を論じて、「人間とは破壊されないものであるが、そのことが意味するのは人間の破壊には限界がないということである」(Blanchot,p.200)と書いたことがある。この場合、破壊…

アガンベン.G『アウシュビッツの残りのもの』(5)

人間が生起する(ha lougo〔場所をもつ〕)のは、生物学的な生を生きている存在と言葉を話す存在、非-人間と人間とのあいだの断絶においてからである。すなわち、人間は人間の非-場所において、生物学的な生を生きている存在と言葉(ロゴス)のあいだの不…

アガンベン.G『アウシュビッツの残りのもの』(6)

いいかえれば、人間は、つねに人間的なもののこちら側か向こう側のどちらかにいる。人間とは中心にある閾であり、その閾を人間的なものの流れと非人間的なものの流れ、主体化の流れと脱主体化の流れ、生物学的な生を生きている存在が言葉を話す存在になる流…

テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(1)

北朝鮮へのエクソダス 「帰国事業」の影をたどる (朝日文庫) 作者: テッサ・モーリス・スズキ,田代泰子 出版社/メーカー: 朝日新聞出版 発売日: 2011/09/07 メディア: 文庫 購入: 1人 クリック: 15回 この商品を含むブログ (3件) を見る これは偶然の旅につ…

テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(2)

歴史の片隅に置き去りにされ、忘れられていたこの問題を調べ始めて、わたしは今さらながら驚いた――日本に住む友人のなかに、帰国船で北朝鮮に移住した知人や親戚をもつ人がなんとたくさんいることだろう。帰国によって変わったのは九万三千三百四十人の″帰国…

テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(4)

この線は地図上でも、ワシントンとモスクワの会議室のなかでも、ひじょうに好都合だった。しかしあいにく、じっさいの地図上の上では、道や市の境界線、地域や文化や方言の区分、すべてについて不都合だった。なによりも、政治的“右”と″左”を分ける線と合致…

テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(3)

朝鮮の人たちは知る由もなかったが、天皇裕仁が敗戦を告げる放送をした五日前、はるかワシントンで、この人たちの国の戦後の命運について決定が下されていた。ソビエト連邦は、ナチス・ドイツとの死闘に全力を傾注して、太平洋戦争が始まって以来、日本との…

テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(5)

一九五二年四月二十八日をもって、在日朝鮮人は、公営住宅入居の権利を含む主要な社会福祉をうける権利を失った。戦後の数十年間に日本の福祉制度が発達していくなかで、こうした排除の規定はますます強化され、そのためにますます厳しくなった。たとえば、…

テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(6)

(一九五六年-注) 五月十八日、離日の一週間前、ウィリアム・ミシェルとヴジェーヌ・ド・ウェックは東京から空路福岡へ行き、そこから汽車で長崎へ、さらに先の小さな大村の港町まで出かけた。ここで入国者収容所を視察し、強制送還を待って抑留されている…

なんとか心身も持ち直しつつあります

そろそろ次の研究論文の準備にそろそろ着手しないとなぁと、考えています。 手に入れたい古典籍はあるのですが、法外な値段を業者からふっかけられてしまい、史料蒐集が暗礁に乗り上げております。 あとは理論的な補強として、洋学関係の論文も集める作業に…