キルケゴール.S『死に至る病』(2)

死に至る病」というこの概念は特別の意義のものと考えられなければならない。普通にはそれはその終局と結末とが死であるような病の謂いである。そこでひとは致命的な病のことを死に至る病と呼んでいる。こういう意味では絶望は決して死に至る病とは呼ばれえない。それにキリスト教の立場からすれば、死とはそれ自身生への移行である。その限りキリスト教においては地上的な肉体的な意味での死に至る病などは全然考えられえない。むろん死が病の終局に立っているにはちがいないが、しかしその死が最後のものなのではない。死に至る病ということが最も厳密な意味で語られるべきであるとすれば、それは、そこにおいては終局が死であり死が終局であるような病でなければならない。そしてまさにこのものが絶望にほかならない。(p27-p28)