バウマン.Z『アイデンティティ』(5)

「社会」はもはや、人間の試練や過ちに対する、厳格で妥協のない、ときには厳しくて無慈悲であっても、公正で信念を持った審判であるとはみなされていません。それは、たとえチャンスを与えられても、可能な場合にはルールを鼻であしらう、とりわけ、人生というゲームの、如才なく、こずるく、一筋縄では行かない、ポーカーフェースのプレイヤー、ようするに、通常、すべてのあるいはほとんどの準備なしのその他のプレイヤーをとらえる、秘密のトリックの達人を彷彿とさせるものなのです。その権力はもはやあからさまな強制に基づいてはいません。つまり、社会は個人の生き方については何の命令も下さず、たとえ、命令を下したとしても、その命令が守られているのかどうか、ほとんど気に留めません。「社会」は、人々がゲームにとどまり、ゲームが続けられているテーブルの上に十分な代用貨幣が残されていることしか望んでいないのです。(p88)