アガンベン.G『例外状態』(8)

例外状態をめぐってのベンヤミン=シュミット関係書類における決定的な文書は、まちがいなく、ベンヤミンによってその死のわずか数ヶ月前に作成された歴史の概念についての第八テーゼである。そこには次のように書かれている。「被抑圧者の伝統はわたしたちがそのなかに生きている“非常事態”が通常の状態であることを教える。わたしたちはこの事実に見合った歴史の概念に到達しなければならない。そのときには、真の(wirklich)非常事態を生み出すことが、わたしたちの当面の任務となるだろう。そして、それができた場合には、ファシズムに対する闘争においてのわたちたちの陣地は強化されるだろう」(Benjamin,1942,p.697

非常事態ないしは例外状態が通常の状態に転化したということは、『ドイツ悲劇の根源』においてそれの決定不能性として立ち現われていたものがたんに極限化したというわけではない。ここで忘れてはならないことは、ベンヤミンにしてもシュミットにしても、一九三三年に布告された例外状態が決して撤回されることのなかった国家――ナチス帝国――を前にしていたということである。……しかしながら、シュミットがいかなる場合にも受け入れることができなかったのは、例外状態が全面的に通常の状態と融合してしまうことだった。……シュミットの展望においては、法秩序の機能は、究極的には、規範の効力を一時的に停止させることによってそれを適用可能なものにするという目的をもったひとつの装置――例外状態――に立脚している。例外が通常の状態に転化するときには、機械はもはや機能しないのだ。この意味で、第八テーゼにおいて定式化された規範と例外の決定不能性は、シュミット理論を頓挫させてしまうものである。主権者の決定は、もはや『政治神学』が主権者に託していたような任務を遂行することはできなくなってしまう。いまや自らの生命の糧となっているもの〔例外〕と合体してしまった規則が、自らを貪り食うのだ。しかしながら、こうした例外と規則との混同は、まさに第三帝国が具体的に実現してきたものなのであった。そして、このことは、ヒトラーが新しい憲法を公布せずに彼の「二重国家」の組織化をあれほどまで執拗に追求しつづけたことが裏づけているのだ(この意味では、ナチス帝国におけるフューラー〔総統〕と国民とのあいだの新しい実質的な関係を定義しようとしたシュミットの試みは、不成功に終わってしまうのだった)。……これに対して、ベンヤミンはここでもまたこの対抗図式を定式化しなおして、それをシュミットに突きつけようとする。例外と通常の場合とが時間的にも空間的にも区別されるような擬制的例外状態のあらゆる可能性がなくなってしまった今、実際に存在するのは「わたしたちがそのなかに生きている」例外状態、通常の状態とまったく区別がつかなくなってしまった例外状態である。暴力と法とのあいだの連関というあらゆる擬制はここではことごとくなくなってしまう。いかなる法的外皮もまとうことなく暴力が跳梁するアノミーの地帯しか存在しないのだ。例外状態をとおしてアノミーを自らに結び付けようとする国家権力の試みは、ベンヤミンによって仮面を剥ぎ取られ、あるがままの状態に引き戻されてしまっている。……それの場所には、いまや内戦と革命的暴力、すなわち法とあらゆる関係を断ち切った人間の行動が取って代る。(p115-p119