アガンベン.G『例外状態』(5)

まずもっては、用語上のいくつかの指摘をしておきたい。一九二一年の著作〔『独裁』〕においては、例外状態は独裁という形象によって提示されていた。しかしながら、自らのうちに戒厳状態を含むこの形象は、本質からして「例外状態」なのである。そして、「法の停止」として現れるかぎりで、ひとつの「具体的な例外」の定義の問題に還元される。これは「これまで法の一般理論によってはしかるべき考察に付されてこなかった問題」である(ibid.,p.XVII)。例外状態がこのようにしてそのコンテクストのうちに書きこまれた独裁は、その後、現行の憲法を擁護ないしは再建する目的をもつ「委任独裁」と、例外の姿をとっていわば自らの臨界質量あるいは融点に達する「主権独裁」とに区分される。『政治神学』においては、このようなわけで「独裁」ならびに「戒厳状態」(Ausnahmezustand)という用語が取って代わる。その一方で少なくとも一見したかぎりでは、強調点は例外の定義から主権の定義に移行している。したがって、シュミット学説の戦略は二つの部分からなっているのであって、その節合の態様と目的を明確につかみとることが肝要となるだろう。……シュミット理論に特有の能力は、まさに例外状態と法秩序とのあいだのそうした節合を可能にする能力にほかならない。それは逆説的な節合である。というのも、法のなかに書きこまれるべきものは本質からして法の外部にある何ものか、言いかえれば法秩序そのものの停止以外の何ものでもないからである(ここから、「法律学的意味においては、たとえ法秩序ではないにしても、そこにはなおひとつの秩序が存在しているのである」というアポリア的な定式が出てくるのである)。(p65-p67