アガンベン.G『例外状態』(10)

この調査――「わたしたちがそのなかに生きている」例外状態という緊急性のただなかにあっての――目的は、わたしたちの時代の第一級の支配の奥義(arcanum imperii)を管轄している擬制を明るみに出すことだった。権力の「玉手箱」(arca)がその中心に内包しているものは何かといえば、それは例外状態である。しかし、例外状態というのは本質からして空虚な空間であって、そこでは法との関係をもたない人間の行動が生との関係をもたない規範に対峙しているのである。……例外状態は今日、その惑星的な規模での最大限の展開を達成するにいたっている。法の規範的側面は統治の暴力によってもののみごとに忘却され論駁されてしまっており、国外では国際法を無視し、国内では恒常的例外状態をつくり出しながら、それにもかかわらず、なおも法を適用しつつあるふりをしているのである。……わたしたちがそのなかに生きている事実上の例外状態から法治国家に回帰することは不可能である。というのも、いまや問題に付されているのは「国家」とか「法」といった概念それ自体だからである。しかしながら、もしこの機械を停止させ、その中心にある擬制を暴露しようと試みることが可能であるとするならば、それは暴力と法、生との規範とのあいだにはいかなる実質的な節合も存在しないにほかならない。それをなんとしてでも関係させつづけておこうと努める運動と並んで、法と生のなかで反対の方向で活動しながら、人為的かつ暴力的に結びつけられてきたものを解体しようと努める抵抗運動が存在する。すなわち、わたしたちの文化の緊張の場にあっては、二つの対立しあう力が働いているのである。一方はものごとを制定し設定する力であり、他方はものごとを不活性化し撤廃する力である。例外状態というのは、それら二つの力の最大級の緊張点であると同時に、規則と合体してしまうことによって今日それらの力を識別不能にしてしまいかねないものでもあるのだ。例外状態のなかにあって生きるということは、こうした可能性を二つながらに経験することを意味すると同時に、しかしまた、この二つの力を事あるごとに分離することによって、西洋を世界的内戦に導きつつあるあの機械の作動を中断するべく、休むことなく試みることをも意味する。(p175-p176