ブランショ.M『文学空間』(1)

文学空間 (1962年)

文学空間 (1962年)

「文学空間の接近」から。

だから、詩の言葉は、もはやただ、日常言語に対立するのみならず、思考の言語にもはっきり対立している。詩の言葉においては、われわれは、もはやこの世に送り返されはしない、避難所としてのこの世にも、目的としてのこの世にも送り返されはしない。この言葉においては、この世は退き去り、目的は、その働きを止めている。この言葉においては、この世は口をつぐんでいる。諸存在は、さまざまの心使いや計画や活動を行っているが、もはや結局のところ、語るものではない。詩の言葉においては、諸存在が口をつぐんでいるという事実が、表現されるのだ。だが、このようなことが、どのようにして起るのか?諸存在は、口をつぐむ、だがその時、存在が、再び言葉になろうとし、言葉は存在しようと欲する。詩の言葉は、もはや、或る個人(une personnes)の言葉ではない。つまり、詩の言葉においては、何者も(personne)語らず、語っているものは、何者(personne)でもないのだ、ただ言葉だけが、自らを語っているように思われるのだ。(p40-p41)