2013-12-21から1日間の記事一覧

アガンベン.G『アウシュビッツの残りのもの』(1)

アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人 作者: ジョルジョ・アガンベン,上村忠男,広石正和 出版社/メーカー: 月曜社 発売日: 2001/09 メディア: 単行本 購入: 3人 クリック: 64回 この商品を含むブログ (54件) を見る Quel che resta di Auschwitz. …

アガンベン.G『アウシュビッツの残りのもの』(2)

責任の概念も、手のほどこしようがないくらい法律に汚染されている。法律の領域の外でその概念を用いようとしたことがある者は、だれでもそのことを知っている。それでもなお、倫理、政治、宗教は、法的責任から領土を引き離すことによってようやく、みずか…

アガンベン.G『アウシュビッツの残りのもの』(3)

現代における死の零落について、ミシェル・フーコーは、政治用語を使ってひとつの説明を提示している。それは死の零落を近代における権力の変容に結びつけるものである。領土の主権という伝統的な姿のもとでは、権力は、その本質において生殺与奪の権利とし…

アガンベン.G『アウシュビッツの残りのもの』(4)

かつてモーリス・ブランショは〔『終わりなき対話』)のなかで〕アンテルムの著作を論じて、「人間とは破壊されないものであるが、そのことが意味するのは人間の破壊には限界がないということである」(Blanchot,p.200)と書いたことがある。この場合、破壊…

アガンベン.G『アウシュビッツの残りのもの』(5)

人間が生起する(ha lougo〔場所をもつ〕)のは、生物学的な生を生きている存在と言葉を話す存在、非-人間と人間とのあいだの断絶においてからである。すなわち、人間は人間の非-場所において、生物学的な生を生きている存在と言葉(ロゴス)のあいだの不…

アガンベン.G『アウシュビッツの残りのもの』(6)

いいかえれば、人間は、つねに人間的なもののこちら側か向こう側のどちらかにいる。人間とは中心にある閾であり、その閾を人間的なものの流れと非人間的なものの流れ、主体化の流れと脱主体化の流れ、生物学的な生を生きている存在が言葉を話す存在になる流…

テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(1)

北朝鮮へのエクソダス 「帰国事業」の影をたどる (朝日文庫) 作者: テッサ・モーリス・スズキ,田代泰子 出版社/メーカー: 朝日新聞出版 発売日: 2011/09/07 メディア: 文庫 購入: 1人 クリック: 15回 この商品を含むブログ (3件) を見る これは偶然の旅につ…

テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(2)

歴史の片隅に置き去りにされ、忘れられていたこの問題を調べ始めて、わたしは今さらながら驚いた――日本に住む友人のなかに、帰国船で北朝鮮に移住した知人や親戚をもつ人がなんとたくさんいることだろう。帰国によって変わったのは九万三千三百四十人の″帰国…

テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(4)

この線は地図上でも、ワシントンとモスクワの会議室のなかでも、ひじょうに好都合だった。しかしあいにく、じっさいの地図上の上では、道や市の境界線、地域や文化や方言の区分、すべてについて不都合だった。なによりも、政治的“右”と″左”を分ける線と合致…

テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(3)

朝鮮の人たちは知る由もなかったが、天皇裕仁が敗戦を告げる放送をした五日前、はるかワシントンで、この人たちの国の戦後の命運について決定が下されていた。ソビエト連邦は、ナチス・ドイツとの死闘に全力を傾注して、太平洋戦争が始まって以来、日本との…

テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(5)

一九五二年四月二十八日をもって、在日朝鮮人は、公営住宅入居の権利を含む主要な社会福祉をうける権利を失った。戦後の数十年間に日本の福祉制度が発達していくなかで、こうした排除の規定はますます強化され、そのためにますます厳しくなった。たとえば、…

テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(6)

(一九五六年-注) 五月十八日、離日の一週間前、ウィリアム・ミシェルとヴジェーヌ・ド・ウェックは東京から空路福岡へ行き、そこから汽車で長崎へ、さらに先の小さな大村の港町まで出かけた。ここで入国者収容所を視察し、強制送還を待って抑留されている…

なんとか心身も持ち直しつつあります

そろそろ次の研究論文の準備にそろそろ着手しないとなぁと、考えています。 手に入れたい古典籍はあるのですが、法外な値段を業者からふっかけられてしまい、史料蒐集が暗礁に乗り上げております。 あとは理論的な補強として、洋学関係の論文も集める作業に…