板坂耀子『江戸の紀行文』

江戸の紀行文―泰平の世の旅人たち (中公新書)

江戸の紀行文―泰平の世の旅人たち (中公新書)

旅というのは、昔の人にとってはなじみ深いものではない。どちらかといえば、旅をするには、何らかの事情と必要がないとしないものであった。孤独や悲壮感を漂わせ、「都」に想いをはせながら、旅の徒然を書くのが「紀行文」というジャンルの特徴である。そう思われてきた節がある。在原業平が『土佐日記』の一節で、「名にしおはばいざとはん都鳥わが思ふ人はありやなしやと」と隅田川で詠う場面はその典型だろう。

松尾芭蕉の『奥の細道』は、そのような「都」から離れて「雛」へと向かう旅人の心情を再現してみせた。しかし、芭蕉のような「紀行文」のスタイルは、同時代の人々には受けがよくない。旅はそれほど悲壮に満ちたものでなくなり、「娯楽」として享受されることで、「紀行文」が果たす役割は変化していった。江戸時代における「紀行文」は、各地の「名所」を巡るためのガイドブックとしての意味合いを鮮明にしていく。むしろ、「地誌」や「名所記」としての情報の正確さの方が求められ、その文面もあっさりとしたものである。そのような「紀行文」こそが、後代の人たちにとって欠かせないものであり、物見遊山をするときに「名所図会」を携えて、「娯楽」として旅を享受するのである。

本書ではとりわけ、貝原益軒の「紀行文」を評価している。貝原益軒は多くの教訓書を世に出したことでも知られるように、堅物のイメージが付きまとう。しかし、貝原益軒の「紀行文」は、読む側に対する配慮と、正確な情報を伝えることに腐心したため、後代でも参照されるべき「紀行文」の雛形を作ったとする。

現在でも『奥の細道』は、不朽の名作として揺るぎない「古典」の地位を得ているし、読み継がれるだろう。しかし、江戸時代の「紀行文」の面白さを伝えるには、松尾芭蕉だけでは語り切れない。そのような「紀行文」が持つ味わい深さを知るきっかけとして、本書を読んでみるのもいいだろう。