鈴木俊幸『江戸の本づくし』

江戸の本づくし (平凡社新書)

江戸の本づくし (平凡社新書)

江戸時代は、書物の秩序に厳然としたヒエラルキーが存在していた時代である。江戸時代でいうところの「書物」とは、保存され、伝達されるべき〈教え〉を含み、それを読むためには、該博な知識と厳密な注釈が要求され、何よりも正しい文体によって書かれなければならない。具体的に「書物」とは、仏教の経典・儒教の経書・漢文と雅語で書かれた詩歌集のことである。それと対置されるのが、「草紙本」である。「草紙本」は何よりも気楽に読めるもので、堅苦しい知識はいらない。「笑い」や風刺めいたパロディを雑多に織り交ぜた読み物である。
 

「草紙本」は、いまでいうところのコンテンツ産業の先駆けを作ったともいえよう。それが「貸本屋」である。「貸本屋」の隆盛は、書物の流通機構の整備を促した。紙は当時において貴重なものだった。江戸に運ばれてきた酒や食物などの「下り物」は重宝がられた。紙も例外ではない。江戸で作られる本は「地本」である。いまではブランド感を醸すために、「地酒」や「地ビール」などという売り文句を使うが、江戸時代における「地」という言葉には、「下らないほど粗雑な」という意味があり、当たり前だが紙も粗雑なもので作られた。また「草紙本」は読み捨てるものなので、回転率が鍵になってくる。その中で「貸本業」が書籍流通ネットワークの素地を作ったのである。


個人的に興味深かったのは、戯作作家たちの「会」を描写した場面である。戯作作家たちは、「月並の会」を催し、酒を一献飲み交わしつつ、趣向や体裁、さらには題名についても意見を述べ合う。「戯作」は、文字通り「戯れに作られた」ことを表明し、またその所産である。しかし単に「戯れに作る」のが戯作ではないのだ。本書による「会」の描写は、現代人が思い浮かべるような書斎に篭り、机に向き合う孤独な作家像とはだいぶかけ離れている。もちろん、この文芸サークルには洗練された知識や心の機敏などが要求される「通」でないと入れない。同じような「会」が文事の側面で盛んに行われていることを考えるならば、江戸文学へのアプローチも再考する余地があるだろう。また自分の研究に関わることで言えば、「文人」とその知的ネットワークの位相へのアプローチにも応用できると思われた。古典文学研究は、工夫次第ではまだまだ切り口が拡げられそうな豊穣な世界を秘めている。そう感じさせてくれる著作である。

江戸の読書熱―自学する読者と書籍流通 (平凡社選書 227)

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十八世紀の江戸文芸―雅と俗の成熟

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天下泰平 日本の歴史16 (講談社学術文庫)

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