中井久夫『徴候・記憶・外傷』(3)

「行基図」という昔よく行われた地図は、讃岐の国とか備前の国とかを一つの丸にして、それを日本列島らしき形に並べています。ふつうの人の身体像はそのようなものではないでしょうか。……これに対して、生体を一つのロジックで組み立てた場合が生理学的な身体となります。……ところが、生理学や生化学は、概念が先行しています。概念なしにぽかっと事実があるということはない。いいかえれば、個別的事実は絶えず体系に組み込まれて、はじめて事実としての権利を獲得する。そういう意味で「論理的身体」です。(p333- p334)