バシュラール.G『水と夢』(1)

水と夢―物質的想像力試論 (叢書・ウニベルシタス)

水と夢―物質的想像力試論 (叢書・ウニベルシタス)


第三章「カロンのコンプレックス・・・・・・」からの引用。

月と夜と星は、このとき多くの花々のように川面に影を投げかけている。われわれが波間にそれを凝視するとき、星の世界は波のまにまに立ち去ってしまうように思われる。水の表面を過ぎる光はなぐさめられない存在に似ており、光そのものも裏切られて、無視され忘却される。暗闇のなかで、「彼女は素晴らしいものを壊していたのだ。重い衣は垂れ下がった。おお骸骨に似た悲しいオフィーリアよ!彼女は川のなかに沈んだ。星が立ち去ったとき彼女は川に沿って流れた。私は泣き、彼女に腕をさしのべた。悲しい髪の毛が水を滴らせるので、彼女は肉の落ちた顔をうしろに振り向け、すこし身体を起し、いまもなおわたしを苦しめる声で、『あなたはこのわたしがだれなのか、わたしがあなたの生きがいなのをよく御承知です、それなのにわたしは行ってしまうのです・・・・・・』とささやいた。一瞬水の上方に春の女神と同じくらい清純で霊的な爪先を見た・・・・・・。それは消え失せ、奇妙な静けさがわたしの血に流れた・・・・・・。」これが、月と波とを交わらせ、流れた忠実に沿って自己の物語を追う夢想の内的な戯れである。このような夢想は、言葉のあらゆる機能において夜と小川の憂愁を実在化している。また反映と影とを人間化する。またそのドラマと苦痛を知っている。この夢想は月と雲との争いに参加する。これは双方に戦いの意欲を与える。これはあらゆる幻想や、動き変化するすべてのイマージュに意志を授ける。そして休息が訪れ、川のもつきわめて単純で身近かな運動を大空に存在するものたちが受けいれるとき、あの巨大な夢想は、漂う月を裏切られた女性の亡骸と見なし、辱められた月のなかにシェークスピア的オフィーリアを見るのである。(p133)