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 井上進『明清学術変遷史―出版と伝統学術の臨界点』

中国思想

明清学術変遷史

明清学術変遷史

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【はじめに】

字句・考証の学は、是れ清人の長ずる所なり。明学は空疎にして、考拠は荒廃す。その叔世に至りて、郝敬諸公を始めて考証に務め、清初の胡絳従いてこれに靡き、海内は靡然とす。朱彜尊・毛奇齢より、以て近世諸家に至りて、異同有りと雖も、要は皆考証の学なり。(大田錦城「九経談」巻一)

明末清初期における思想的変動については、近年の江戸思想史をめぐる研究動向においても関心を集めている。大田錦城が残した評言は、しばしば引用されるほど有名な言葉として知られているが、そこには明末清初における思想的変動が、当該期の学者たちにおいても重大な関心事だったことを示唆していると思われる。

本書は、「明末に中国伝統文化の臨界点を見る」(p4)という視点に貫かれながら、明代と清代の出版文化と学術的変遷をクロスオーバーさせて、明末にかけて流行した陽明学に代表されるような「内なる主観主義」から、清代考証学の「外なる客観主義」(p6)の思想的変動の歴史について、丁寧に追っている。本報告では、報告者の関心に即しつつ、本書の内容を紹介することで最低限の責務を果たすものである。

【本書の構成】
本書の構成については下記の通りである。

第一部

第一章 文化の雅と俗
はじめに
一、宋元の経籍
二、明代坊刻本
三、商品としての書籍とその購買者
四、明末のゆくえ

第二章 明代前半期の出版と学術
はじめに
一、古典著作の復刊
二、出版の集中と変化の予兆
三、正学と出版
四、文史の位置

第三章 明代活版考
はじめに
一、明代中期の出版情勢
二、江南の活字本
三、活版の限界
四、活版から整版へ

第四章 明末の出版統制
はじめに
一、弘正間から万暦初年まで
二、万暦後半以後
三、士大夫の淳厚
四、明末の士人と清初の政権

第五章 明末の避諱をめぐって
一、万暦以前
二、啓禎間の避諱
三、皇帝の尊厳

第六章 出版の明末清初
はじめに
一、明末刊本と清刊本の不連続
二、明末の余風

第二部

第七章 漢学の成立
はじめに
一、明末の経学
(1) 「非聖無法」
(2) 経学の「謬種」
二、郝敬の学
(1) 郝敬の経学
(2) 郝敬以前
(3) 経書と自己
三、顧炎武と漢学の精神
(1) 漢学の祖顧炎武
(2) 漢学の背景
四、継承と断絶
(1) 内と外
(2) 迂回の学

第八章 復社の学
はじめに
一、「興復古学、務為有用」
(1)「興復古学」
(2)「務為有用」
二、新しい学
三、復社の人々
むすびに

第九章 樸学の背景
はじめに
一、順治より康煕へ
二、雍正と乾隆
三、明末の士人
四、故明の遺老、大清の順民

第十章 六経皆史説の系譜
はじめに
一、無言の波紋
二、六経皆史説の受容と流行
三、六経皆史説の終局
四、明末の六経皆史説

【本書の要約】
第一部では明代から清代にかけての出版をめぐる文化的状況と変容について考察した構成となっている。明代にかけて勃興した印本化と商業目的として出版される坊刻本の流通がもたらした意義を考察し、経籍の印本化により、士大夫=読書人の文化的正統性を担保するものであった雅の文化と、庶人における俗の文化が混淆が進行していく過程を論証し、また経籍の印本化によって、大量に出現した「先生」と呼称される庶人の士大夫化が起こる時代的状況を考察し(第一章)、続いて、明代中期に起こった『史記』や『文選』などの古典的著作の復刊の意義を検討したうえで、正学としての朱子学にみられる「経」に対する「文史」をめぐる関心の出現がもたらした意義を「道徳」(内)にのみに専心する学問から、「事物」(外)の解放をもたらす学問への転回として把捉している(第二章)。明代における出版文化の中心地であった江南地域の活版印刷について検討を加えながら、活版印刷の簡便性に注目した士大夫たちに先進的技術として受け入れられていく様相を明らかにしながら、清代の出版活動が縮小していく過程に言及がなされ(第三章)、また前章で検討したように、「文史」の学の復興により、「私史」を主張する士大夫たちの出現と、明代における言論統制と、「私史」が弾圧される清代の言論統制との対比がなされ(第四章)、それと合わせる形で、当代の君主の名を直書しない避諱の習慣をめぐる明代と清代の変遷を考察しつつ、明代の士大夫たちが煩雑な避諱を重要視していないのに対し、清代は避諱を励行することで、「文字獄」として知られる言論統制を深めていく過程について考察を行っている(第五章)。このような明代と清代の出版文化の不連続性から捉え、明末期の出版活動の隆盛と清代における停滞を対照的であることを示唆したうえで、「清代に入ってからの出版は、明末のそれと比較して、商業性、通俗性、実用性、同時代性をはなはだしく低下させ、出版文化を単調なものにした」(p177)と結論付ける。

第二部では、明末清初期における思想的変遷についての論考によって構成されている。前述したように、清代における学問は「考証学」と規定されるのが定説ではあるが、本書では、郝敬の学問に着目しながら、その学問を「道学と区別された意味での経学、経書の文献学的研究はまさに成立しようとしていた」(p236)と高く評価したうえで、顧炎武に始まる「考証学」が、郝敬における経書解釈を積極的に継承した思想史的意義を考察し(第七章)、さらに明末清初期において、「復古」の気運を支えた結社運動として知られる復社運動の思想史的位置について検討がなされ、復社同人たちが、「経・史・古・今」という新たな学を提唱した意義と、彼らが朋友としての仁義を重んじた「任侠」・「異人」的性格を持っており、水平的な人間関係を志向していた思想的運動体としての可能性に言及している(第八章)。ふたたび清代における「文字獄」の問題を時系列に即しつつ、当該期の言論統制の性格について分析しながら、それと対比されるように、明末における党社運動の精神が、清代の学術に伏流化していることを論じ、その意味で清代における「文字獄」が形式的な抑圧に留まったことを言及している(第九章)。本書の最後では、章学誠に代表される六経皆史説の思想的意義を論じている。六経皆史説は、「経書を古史と位置付けたうえで、今の義を今の事に即して語らせる」(p408)ところに特徴付けられるが、その系譜を王学に淵源するものであることを論じている。それは王陽明自身も「五経はまた史」という発言からも裏付けられるものだが、「王学は自らの学問を展開させるにつれ、この本来のあり方を裏切るような動きを生み出した」(p426)と論じつつ、かかる六経皆史説の系譜は、心学とは異なる「知識の学」を組織化を示唆していることに言及して本書を終えている(第十章)。

【まとめ】
本報告では、本書の内容を簡潔な紹介に腐心するしかなかったが、最後に本書の意義を考えてみたい。本書は明清期における出版文化と思想の変遷を、明末期を臨界点として捉えながら、臨界点を突破したのちの、清代における「文字獄」と「考証学」が、明末の遺風をどちらも伏流化していく歴史的過程について、該博な知識と傍証によって、論じられている。しかしまた、本書における影の主役は陽明学であることは間違いない。その意味で陽明学が明代に出現した思想史的意義を、別の側面から明らかにしているという意味でも示唆深い研究である。

報告者は、本書を的確に評すほどの力量がないことは自認しているのだが、江戸思想史が抱える現状に即して意見を述べる。「東アジア」との相関性を意識しながらも、前近代における地域的連動をいかに考えるかということに関しては、まだ模索の段階であると思われる。さらに「一国史」からの脱却が論じられて久しいが、単純に明清思想と江戸思想の比較に押し込められるような程度なものではないのではないか、という疑念を抱いている。まず、江戸時代における明清期の学者が著した書物の移動史などを加味しながら、同時に思想史との相関性から俯瞰する基礎的な研究がいまだに少ないことが挙げられる。明清期の思想をめぐる関心を示唆する文献自体は数知れないのだが、それとどのように関わりつつ、いかに江戸思想史を新たな記述として書き換えられるか、という課題は積み残されている。本書は明清期の思想的変動を出版文化史と重ねて論じているが、個別の論点をめぐる評価は中国思想史研究に従事している方々に委ねるしかない。しかし、異領域でありながらも、隣接する問題を共有している者にとっては、本書における視座は考える余地があると思われる。ひとまずは参加者の意見を請うことで本報告を終えたい。

文責:岩根卓史

(日本思想史研究会夏季合宿報告 2012年9月18日)