揖斐高『江戸幕府と儒学者』

 

 

日記ばかりでは芸がないので、連投で読んだ本を紹介します。本書は、江戸幕府の儒官の家柄であった林家三代にわたる足跡を丹念に追いながら、江戸幕府における「御儒者」という歴史的立ち位置について考察したものです。

林家は、江戸思想史研究の中では評価が分かれるところでして、「江戸儒学史」という括りですと、山崎闇斎伊藤仁斎新井白石荻生徂徠が言うなれば「王道」路線であり、林家の足跡は思想史研究者が不問にしていた側面は拭いきれません。

著者は、江戸文学が専門ですが、本書ではしばしば方広寺鐘銘の一件の首謀者と目されてきた、「曲学阿世」という林羅山をめぐる評価だけでなく、林家そのものが抱かれている「御用学者」的なイメージから離れたところで位置付けようという試みは成功しているのではないでしょうか。

たとえば、本書で言及されているように、「御儒者」という職掌が、いわゆる外交文書作成など、いわば能吏的な側面を持っていたこと(第二章)などは、思想史研究者ですと、等閑視する場合が多く、その意味でも読んでいて得るところが大きい書でした。

最近では、江戸文学研究者からの思想史研究への応答という課題が大きくクローズアップされており、その意味でも思想史研究者から文学研究への真摯な学術的な応答も必要なのではないか、と僕自身も考えているところです。