李良枝『刻』(3)

「私にとっての母国と日本」より。

まず、大義名分として私には、一日も早く韓国人にならなくてはならず、自分の身体に染みついている日本的なあらゆるものを清算して、韓国を理解し韓国語を自在に操れるようにならなければならないという、義務がありました。実を言うと、そうなってこそ留学する当初の目的と動機を満たすことができるのです。そしてそれは、疑問をはさむ余地のない当然のことで、私にとっては至上の課題ともいえるものでした。ところが、そうした大義名分ないし義務感などは、現実と実際の私の生き方によって、裏切られるよりほかはありませんでした。……名分上もしくは観念の上では、韓国語は母国語であり、私のアイデンティティーの中心に位置する言葉であることに間違いはありません。けれども実際には、母国語である韓国語はどこまでも外国語であり、異国の言葉としてしか受け入れることができなかったのです。(p216-p217)