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長谷川亮一著『「皇国史観」という問題』

「皇国史観」という問題―十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策

「皇国史観」という問題―十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策

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1.

まず、本書がテーマとして追究する「皇国史観」をめぐる問題が設定されるという事態が、どのような意味を持つことなのかを考えてみよう。90年代に入り、自らを「中立」に立つことを表明し、これまでの教科書における歴史叙述を「自虐史観」と名づけ、《歴史は物語にしか過ぎない》というテーゼが、歴史修正主義者たちによって打ち出された。その発端は、言うまでもなく、「新しい歴史教科書をつくる会」による挑発から始まったと言える。しかしその内実は、新自由主義新保守主義とが同居する、ある意味でコインの表裏にしか過ぎないのだが、《歴史をいかに語るか》という問題設定のあり方は、歴史学界においても大きな波紋を広げた。その代表的論客として、小林よしのりを挙げてもかまわないだろう。小林による扇情的で、かつプロパガンダとしても有効だった、「ゴーマンかましてよかですか?」というフレーズは、90年代における時代的感覚を確かに象徴していたように思われる。そして現在も、一部には熱狂的な支持を受けていることは否めないだろう。〈歴史〉と〈物語〉をめぐる「語り方」をいかに捉えるか。このような問題が出現したことは、広義の意味で「歴史」を考え、そして営む者にとって、自らの思想的位置の再考を促す事態でもあった。また、90年代の歴史学にとって大きな事件は、いわゆる「国民国家論」というパラダイムの登場であろう。それが意味するところは、アカデミズムというシステムがもはや自明性を失いつつあったときに、人文知の「言語論的転回」が起きたということである。それは、「近代日本」に登場したあらゆる文化的装置(学校・軍隊・博物館・工場)やアカデミズムの学術知における内在的批判を含意しながら、その解体を主唱し、まさしく「ナショナルなもの」と「権力」をめぐる関係をめぐる議論に終始した時代だったとも言えるだろう。
 
しかしながら、ゼロ年代という時代を生きているものにとって、「国民国家論」を唱えることに、筆者はある種の戸惑いを覚える。地球規模で起こっているグローバリゼーションは、「国家」がこれまで保護してきた社会的なセーフティネットをすべて寸断し、落ちこぼれた者は《自己責任》というロジックでいともたやすく切り捨てられてしまう。生き残れなかったものたちは、まさしく〈生〉それ自身が脅かされ、そして生き辛さを抱えたまま、「難民」として漂流するしかない。その意味で私たちは、誰しもが窒息してしまいそうな感覚を持っているはずだろう。90年代に顕在化した、新自由主義ポピュリズムの台頭は、《個人の生》それ自体を蝕んでいく。あるいは次のように言っていいかもしれない。すなわち、二一世紀をこれから生きていく私たちにとって、《コトバ》を語ることさえも不可能な事態がすでに出現しているということを意味してはいないだろうか、と。   

いま筆者は、世界同時多発的な金融危機が叫ばれる報道を耳にしながら書いている。「国家」はもはやすでに、国民の安全や安心、そして幸福や生活を保障してくれるものではなくなりつつある。このような視座からすれば、「国家は、いまや、世代をこえて未来に延びていく堅牢な橋ではない」*1 と言えるだろう。しかし、一方で「近代天皇制」を母体とした「国家」が、いかに「権力」を行使し、いったいそこで何をしたのかということを問う地道な作業は、決して無意味なことではないように思われる。だから、筆者は次のように断定する。いま「民族」と「国家」との関係が不分明になり、あらゆる社会的行動が《自己責任》というロジックに回収されつつある状況下においてこそ、私たちは、新たな課題を模索し、試行錯誤し、迂回しながらでもいいから、包括的な視点によって、全体主義と総力戦体制を招いた「近代日本」という時代を改めて考え直せばならないのではないか、と。その意味で、本書は丹念な史料の読み込みと膨大な時間をかけた史料蒐集によってなされた労作であると言える。次節では、本書の内容に踏み込んで、本書が持ちうる意味を析出したいと考えている。

本書の構成は以下の通りである。

 はじめに
 
第1章 戦後における「皇国史観」をめぐる議論の展開
  1―1 今日における「皇国史観」の認識
  1―2 敗戦直後における「皇国史観」批判の展開
  1―3 一九五〇年代における「皇国史観」についての認識
  1―4 一九六〇年検定論争と「皇国史観の復活」キャンペーン
  1―5 一九八〇年代の「皇国史観」論
  1―6 近年の議論傾向と本書における検討課題

第2章 近代国体論の変容
  2―1 「天壌無窮の神勅」と近代国体論の成立
  2―2 『大日本編年史』と久米事件
  2―3 『国体論史』と大正期の国体論
  2―4 天皇機関説事件=国体明徴運動と「教学刷新」
  2―5 「皇国」理念の流布
  2―6 「八紘一宇」の国策理念化
  2―7 小括

第3章 「皇国史観」の提唱と流布
  3―1 高等試験改革と国史の必須科目化
  3―2 『国史概説』の編纂
  3―3 『大東亜史概説』の編纂
  3―4 文部省による「皇国史観」の提唱
  3―5 文部省の「皇国史観」認識

第4章 『国史概説』の歴史像
  4―1 全体の構成と基本的特徴
  4―2 『国史概説』の国体論
  4―3 「八紘為宇」の理念
  4―4 社会経済史叙述の意義

第5章 『大東亜史概説』の歴史像
  5―1 全体の構想
  5―2 「大東亜」の範囲
  5―3 「大東亜」と日本
  5―4 「大東亜史」と「国史」のはざま
  5―5 『大東亜史概説』と宮崎市定『アジヤ史概説 正編』

第6章 国史編修事業国史編修院
  6―1 国史編修事業閣議決定
  6―2 国史編修準備委員会における議論
  6―3 国史編修調査会
  6―4 国史編修院と敗戦後の経過

おわりに―戦後への展望


確かに「皇国史観」それ自体は、とりたてて評価するには値しない代物であるかもしれない。だが、「日本史」という枠組みそれ自体の意味が問われ、また歴史を語ることそれ自体の意味が問われている今日、ある意味では「日本史」という枠組みの極致とも言える「皇国史観」の再検討を試みることは決して意味の無い問いではないであろう。*2


本書の課題は、この一文を挙げるだけで十分であろう。本書が主題とするのは、文部省主導による「国史」編纂事業が、いかなる意味を持ち得るものであるかを俎上に乗せることである。その主眼は、文部省に設置された教学局によっていかなる思想統制をしたのか、ということに尽きるであろう。第1章は、その基底としての「皇国史観」が戦後においてどのように論じられてきたか、ということを論じた長い序論として位置づけられる。本書が批判するのは、平泉史観=「皇国史観」と看做してきた、戦後歴史学の動向そのものである。まず洗い出されるのは、特定の一部の歴史学者である平泉澄と、文部省が推進した「皇国史観」の認識にはズレがあり、その概念が曖昧なまま、非科学的、独善的とされてきた事を鋭く分析する。もちろん、「皇国史観」とは、戦時下における軍国主義的な対外侵略に加担したという意味合いにおいて、戦後歴史学では「暗黙の了解」となされてきた。しかし、本書における重要な点は、かかる「暗黙の了解」自体に疑念を抱いていることである。すなわち、漠然としたまま、「皇国史観」という言葉だけが一人歩きし、「右派的で主情主義的、主観主義的」というイメージのみで、批判の矛先を向けてきた戦後歴史学への根本的な問い直しを本書では展開している。それをそのまま切り捨てることは容易であるが、「日本史学史ないしは歴史思想史上に正確な位置付けを与える上で、具体的な言説に即した検討」*3 が必要不可欠なものであることを述べる。


第2章では、近代日本の国体論の変容に視点を移している。天皇親政による「復古」を自己正当化のイデオロギーとして、明治期に近代天皇制国家は成立するが、天皇の存在と不可分な関係にあった「国体」という概念は、近代日本において、大日本帝国が植民地拡大に伴い、他の植民地とは異なる政体として、日本を「皇国」として看做すようになるという過程を言及している。それが唱え出されるのは、1930年頃であり、主として陸軍省が使用し始めてからのことであったことを本書は指摘する。文部省もそれに追随するかのように、「皇国」という語は、「教学刷新」の動きが高まる時期に、行政上の語としても定着した。その動きとパラレルに、「八紘一宇」の国策理念化が進行する。それは、「国体」の拡大を正当化する意味においても、重要な概念として流布していく。最初は田中智学による造語にしか過ぎなかった概念が、「満洲国」の成立によって、日本の軍事的拡大を正当化する理念として掲げられるようになる。だが、膨張し続ける「近代日本」の領地的拡大は、「天壌無窮の神勅」に基づく「国体」にとって、最も欠けていたものを曝け出してしまう。すなわち、知識人層に向けた公定的テクストとしての「国史」が編纂されていないということだった。

第3章では、文部省教学局主導による「皇国史観」の提唱と流布を検討している。『国体の本義』や『臣民の道』などは公刊されていたものの、知識人層に向けた「国史」の通史は存在していなかった。その中でも高等試験改革と「国史」の必須科目化は、「基礎教養科目というよりもむしろ思想審査のための科目であった」 という点は注意しておかねばならないだろう。*4「国体明徴」を掲げた日本通史としての『国史概説』編纂事業と『大東亜史概説』の編纂事業は、このような背景をもとに企図されたものであった。対外侵略を正当化するために、1942年頃から、文部省自ら、「皇国史観」という語を積極的に使用することになることを指摘する。その編纂過程で明らかなのは、「「皇国史観」とは、戦時下において政府、ことに文部省が喧伝して広めた、一種の国策標語」*5 であることを本書は指摘する。ではその具体的な内容はどのようなものだったのだろうか。第4章と第5章では、『国史概説』と『大東亜史概説』というテクストの内容検討に踏み込んでいる。

第4章と第5章で検討が行われている『国史概説』と『大東亜史概説』は、「日本」と「アジア」の関係を、「国体」という理念に抵触しない限りで許容するという点において、「皇国史観」という概念自体が、いかに曖昧模糊としたものであったかを如実に示しているだろう。本書では、『国史概説』における社会経済史の叙述に大きな部分が割かれていることに着目している。そのことは裏を返せば、平泉史観だけが、「皇国史観」のイデオローグだったのではなく、むしろ「実証」という名の下でなされる大量の社会経済史に依拠した《歴史の語り方》自体が、透過されてはならない問題であることを本書は指摘する。さらに、未完に終わった『大東亜史概説』編纂についても、今でも「日本文化論」に見られる鋳型の萌芽として把捉できるだろう。いわゆる「文明東流論」である。優れたアジアの文明は、すべて「日本」に流れ、育まれたことで、世界でも誇れる文明国とする論理である。その意味で言えば、「日本」が優れた混合文化であることを強調するという意味において、『大東亜史概説』は、「民族」と「国家」との関係を述べざるを得なくなる。つまり、どこまでが「日本」なのか、という根本的な問題に直面せざるを得なかった。『大東亜概説』は、それを諸民族・諸文化の集約点こそが、「天壌無窮」の「国体」を明徴した「日本」が主導となる「大東亜圏」の構想を描いていたと指摘している。その意味で混合文化が花開いた「国家」こそが「日本」の特殊性であるというロジックをアプリオリに含意していたテクストであったことを示唆しているだろう。このような観点からすれば、『大東亜史概説』という未完の書物は、結局のところ、西欧との「思想戦」に勝つための道具であったと捉える本書の主張は、慧眼だと言うべきだろう。
 
第6章では、戦時期における国史編修事業に焦点を当てている。この事業に最も反発したのは、平泉澄であったことは興味深い。平泉がこの事業に反対する理由は主に四点である。すなわち、「六国史を軽んずるの嫌あり」・「期限短きに過ぐべし」・「史官果してその人ありや」・「不急の事業戦力をそぐ嫌なきか」という四点である。その混み入った議論の内実まで踏み込むと、煩雑になるので避けるが、敗戦後、文部省が具体的にした施策こそが、国史編修院の設立であった。しかしながら、この政策自体は、何の実も結ばないまま、GHQによって解体されてしまう。だが、昭和の国史編纂事業がいかに粗雑なものだったか、という点を考慮するならば、「皇国史観」という概念がいかに曖昧なものであり、時局によって都合の良い解釈を与えてしまうものなのか、ということを考えさせられるものがあるように思われる。それは歴史家がいかに戦争協力をしたのか、というより根源的な意味での再考を促していると言えるだろう。そして、「皇国史観」というレッテル貼りをするだけで事が全て終了するのではなく、各々の歴史家たちの戦時下における戦争協力と思想内容を含めた検討がさらに必要ではないか、という結語で本書を終えている。

3

最後に筆者自身の読後感を交えながら、本書の意義について述べてみたい。まず筆者は当該期の専門家ではない。しかし、近世日本の国学思想を中心に研究している限り、「皇国」という理念と、それが内意されている問題について改めて取り組まなければならない、と本書を読むうちに切迫させられた気持ちを抱かされたことは、この場を借りて表明しなければならないだろう。特に昭和期には、「国学へ還れ」と唱えた知識人が大半であったことは見逃されてはならないだろう。彼らから言わせれば欧米の思想に依拠した理論を輸入しただけの明治期の知識人は乗り越えられるべき対象であった。その中から「皇国」という概念を紡ぎ出し、明治期の知識人たちを批判しながら、「国学」の再発見をする動きがあったことは、国民精神文化研究所という国策機関の活動が如実に示してくれるであろう。
 
本書は、主に文部省教学局という、まさに教育施策に直接的に関与する「現場」でおこなわれた「皇国史観」の唱導と流布を問題にしている。それ故に本書が想像も及ばない膨大な時間をかけ、かつ教学局という一つのフレームを通して、精緻に分析したという点で、非常にインパクトのある書物であることは、是非とも改めて強調しておきたい。「実証主義」と「皇国史観」との共犯関係を指摘した箇所などは、本書の骨子に関わる重要なものであろう。この意味において、学知批判を含意しながらも、同時に新たなパラダイムを組み直すことが必要ではなかろうか。それは今後の人文知全体に課せられたものであろう。本書はそのための数多くのヒントを出しているという意味において、一読するに値するものであることを強調することで、拙い本稿を閉じることにしたい。

『日本思想史研究会会報』26号、2009年、pp.45〜pp.50)

文責:岩根卓史

*1:バウマン、ジークムンド『リキッド・モダニティ』森田典正訳、大月書店、2001年、238頁。

*2:長谷川亮一『「皇国史観」という問題』、p2-p3

*3:同、p42

*4:同、p135

*5:同、p176