隠岐さや香『科学アカデミーと「有用な科学」』(1)

科学アカデミーと「有用な科学」 -フォントネルの夢からコンドルセのユートピアへ-

科学アカデミーと「有用な科学」 -フォントネルの夢からコンドルセのユートピアへ-

第3章 「科学の共和国」と外界に対する距離感より。

科学・技術への興味と政治・経済への関心、今日では常に両立するとは限らないこの二つの要素は、啓蒙の世紀において共に文化の底流を成していた。そして、この啓蒙の視聴は近代的な意味での「公論」(opinion pubque)、すなわち、原則として制限されえない批判の自由と、平等な権利をもち自分自身で考える者による開かれた言論活動を理想とする公共的言論空間の出現と、密接に関わっている。これらの言論活動を育んだのが、急成長した出版物の流通に加え、社交界で花開いたサロン、そして一部の地方アカデミー、および各地の農業協会などであり、とりわけ政治経済思想は行政官や銀行家、文人達の多く集まるサロンを中心に発展した。その多くが科学・技術に関心を抱いていた層とも重ねっている。言い換えれば、啓蒙思想の論客たる「啓蒙のフィロゾーフ」達を育んだ都市の新興ブルジョアジー層や一部の「啓蒙された」貴族層自体が、度重なる政治危機を通じて「読書し考え」かつ「科学や技術にも関心が深い」知的な「公衆」(le public)として、国家の政治議論において無視できない存在感を示すようになっていたのである。(p81-p82)