北岡誠司『バフチン』(5)

つまり言語こそ「対話性の汲みつくしえない源泉」である。それというのも「言葉の内的対話性は、言語が階層分化したことの必然の同伴者であり、混質雑多な言説の多様な志向が言語のうちに移住した結果」だからである。したがって作家はこうした「散文的な二声性」を「その意識をつつみこみ養う、生きた混質雑多な言説・混質雑多な言語」のうちにあらかじめ見いだすことになる。(p278)