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 中村春作他編『続「訓読」論』(3)

市來津由彦「中国思想古典の文化象徴性と明治・大正・昭和」より。

文言文は、中国の統治に携わり、またそのことを望むいわゆる「士」の層において流通する。……文言を運用することは、士人層と庶人層との間に社会階層・身分区分がある中で「士」の世界に自身がつながることを、また、その区分意識を精神文化面で創出することを意味する。……「士」を志す者は、文言を運用することにより自らの心を士大夫文化化させる。……文言の華麗な運用とは、心の内外に集積された古典の言葉世界と自在に往還して書くべき課題に重ねて表現できることである。古典世界とのこの自由な往還を可能とするには、厳しい学習と知的能力と、その学習を許す環境、資産などが必要である。こうみると、士大夫世界で流通する文言という言語表現形式は、士と庶との社会階層区分的葛藤をもと潜在的に内包させている。(p407)