丸山隆司『困惑する書記―『万葉代匠記』の発明』

 

困惑する書記(エクリチュール)―『万葉代匠記』の発明

困惑する書記(エクリチュール)―『万葉代匠記』の発明

 

 本書は、主に藤女子大学の大学紀要に掲載された、契沖における歌学と前期水戸学(厳密には徳川光圀と彰考館という学問所の性格)との言説的関係性について言及した、一連の論考群を研究書としてまとめたものである。

丸山隆司は、日本古代文学を専門としている研究者だが、金田一京介と知里真志保における「アイヌ学」をめぐる研究書を上梓していることでも知られており、このことからも、丸山氏の研究関心は幅広い射程を持っていることがうかがえる。

 

“アイヌ”学の誕生―金田一と知里と

“アイヌ”学の誕生―金田一と知里と

 

契沖という人物は、私にとっていまも非常に「分かりにくい」人であり続けている。契沖は〈俗中の真〉という言葉を自らの〈生〉として賭し、当時の真言宗教団の教学改革に関わった真言僧でありながら、同時に徳川光圀のブレーン的存在であったことが、腑に落ちるような理解が自分では出来ず、容易に結びつかなった。

本書の意義は、契沖と徳川光圀の主導でなされた、『大日本史』編纂事業との言説的連関性を、高度な理論的密度による分析と、精緻な史料読解から展開されており、非常に示唆に富む視点を与えてくれる。以下では本書の中で私なりに重要だと考えられた指摘について言及を試みたい。

まず、「先哥ハ俗塵ヲ払フ玉箒ナリ……仮令儒教ヲ習ヒ釈典ヲ学ヘトモ、詩哥ニ心ヲオカサル族ハ、俗塵日日ニ堆ウシテ、君子ノ跡十万里ヲ隔テ迫カタク、開土ノ道五百駅ニ障リテ疲レヤスシ」(契沖『万葉代匠記』精撰本)という契沖の有名な言葉に対して、本書はさらに踏み込み、「詩歌」を商品価値として成り立たせ、かかる生業を「俗」における新たな「社会階層」を生み出していく歴史的契機を孕んでいたことを、次のような分析をしている。

儒教・釈典を読んだところで、「詩哥ニ心ヲオカサル族」にはなんの意味もない、というもののだから、むしろ僧侶の発言としては失格だ。いいかえれば、すでにそれら自体が身分として「俗」であり、「俗塵」に汚染されているといっているのだ。だが、この現実否定と回避は、単に内面に価値を認め、それを閉じこもるというのではない。生きているとすれば「俗塵」の汚染をまぬがれることができないことを認めつつ、むしろ、「詩哥」を「俗塵ヲ払フ」武器(アイテム)だ、といっているではないか。それは、「俗中の真」なのだからだ。「銭」に対して「詩哥」を対置するという、思想的な構図がここには見られる。とすれば、その「詩哥」の価値について論理構築することが課題となる。が、しかし、「銭」に対して「詩哥」を対置することは、「詩哥」が「銭」に対して交換可能な価値を見いだすことでもあるのではないか。つまり、「詩哥」の価値が「銭」によって計られるようになることだ。いいかえれば、「詩哥」が「銭」=貨幣の対象である商品となることだ。「詩哥」が商品となること、それは、「詩哥」をこととする階層を生み出すことだ。「詩哥」、それを文化ないし知識といいかえれば、文化人ないしは知識階層の誕生ということになるだろう。積極的な脱「俗」から、「俗」への回帰の道が開いている。この矛盾を抱え込んで契沖の言説は成り立っている。(p75-p76)

上記の分析は、とりわけ元禄年間における貨幣経済の浸透とともに、「知識=書物」が開かれたものとして、「雅」に対置される意味で、「俗中」に生きた身分的階層の人々にも浸透していく思想的様相を考えるうえで、興味深い論点だと思われる。

本書による重要な指摘としては、契沖における万葉注釈作業と、水戸藩による『大日本史』編纂事業とが、言説的な連関性を常に保ちながら展開されたことである。本書は、この点に関して以下のように言及している。

『代匠記』精撰本惣釋は、『万葉集』を一冊の書物として完結した対象ととらえていた。それは、「此書」と他の書とのあいだに、切断線を設けることであった。そのとき、設定された切断線は、「此書ヲ証スル……此書ヨリ先ノ書」という時間であった。とすれば、この時間こそ、書物を比較する単位であった。……ここには、継起する時間のうえに、書物が累積する、という空間が描かれている。つまり、「此書」は、時間―空間の編目のなかにとらわれているのだ。空間の区画から見れば、『万葉集』は歌書、「日本紀」は史書という切断線が引かれるだろう。(p136-p137)

『厚顔抄』とは、契沖が作成した『日本書紀』『古事記』の歌謡の注釈書である。この『厚顔抄』の制作にも光圀が関与していたのだが、光圀は、それを「まことの古万葉」と位置づけている。……つまり、この、いわゆる記紀歌謡を『万葉集』へ繋がる歌として抽出し、古万葉集万葉集→新撰万葉集古今集(続万葉)という時間的継起を見いだす、ということが可能になっているのだ。つまり、それは歌の歴史的展開、和歌史という領域を見いだしているということである。……とすれば、この和歌史の〈発明〉は、時間と空間によって区画された充当すべき対象を見いだすということであった。……したがってそれと平行して、「事」=事実の歴史記述の領域も見い出されてくるはずだ。それは、「本朝の史記」、つまり紀伝体という形式をとる『大日本史』の構想にも接続する。とすれば、光圀のこの発言は、和歌史が『大日本史』の一画を占めるものとして構想されていたことを思わせる。(p137-p138)

引用は長くなってしまったが、契沖における万葉注釈作業の問題を考えるうえでは、やはり重要な指摘だろう。しかしながら、本書が契沖に関する分析に注力を傾けていることもあり、契沖における「神国」概念に言及している箇所では、あたかも契沖が、江戸時代全般を通して、「漢意批判」へと繋がる濫觴的存在として位置付けられている節があり、その点に関しては疑問を挟む余地があるだろう。

しかしながら、契沖における思想的作業については、現在の研究者でも、契沖に対して、称揚的態度を示すことはするが、本書のように踏み込んだ思想的分析は未踏の領域であったと言わざるを得ない。この場を借りて、本書に対して謝意を示す次第である。