ホルワード.P『ドゥルーズと創造の哲学』(3)

潜在的なものというドゥルーズ自身による概念構想への多様な影響の全てのうち、純粋過去(すなわち純粋記憶におけるその連続的保存)というベルクソンの観念はひとえに最も重要な意味を持つ……過去とはわれわれが後悔したり取り逃したりする何かではない。時間は創造ないし生産の次元であって、不在や郷愁ではない。言いかえれば、この純粋な過去は通常の意味での「過去」では全くない。むしろ時間それ自体の非時間的な存在、すなわちその生成変化ないし展開における存在である。純粋な「過去はかつて存在した何かをではなく、単純に、存在するまた現在としてのみずからと共存する何かを表象する。過去は己を何かにおいて保存する必要はなく、みずからにおいて保存する。過去はそれ自身において存在し、それ自身においてみずからを生き延べさせ、保存するからである」。だからわれわれが真に何かを思い出すとき、われわれはかつて現在にあった、そして今やかつてあったもののたんなる心的痕跡ないし表象としてのみ存在する一つの瞬間を挽回したり再活性化したりするのではない。むしろ「われわれはみずからを直接的に過去それ自体の中に置く」(PS,58)。われわれは過去を思い出すというよりはむしろ思考する、すなわちわれわれの中で過去に思考させる。(p81-p82)