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 ブランショ.M『来るべき書物』(1)

ブランショ

来るべき書物

来るべき書物

「文学の消滅」からの引用。

だが、文学の本質とは、いっさいの本質的限定を、文学を安定させそればかりかそれを現実化するようないっさいの確立作用をのがれ去る点にある。文学とは、けっして、すでにそこにあるものではなく、つねに、くり返し見出され発明されるべきものである。そればかりか、文学という語や芸術という語が、現実の何ものかに、可能的な何ものかに、重要な何ものかに、相応じているということさえ確かではないのである。これはすでに言われてきたことだが、芸術家であるということは、すでに或る芸術があるということも、或る世界があるということも、けっして知らぬことである。もちろん、画家は、美術館へ行き、そこで、絵画の現実性について、なにがしかの意識をうるだろう。つまり、彼は絵画を知るわけだが、彼の絵は彼を知らないのであり、むしろ、絵画が不可能で非現実的で現実化しえぬものであることを知っている。文学そのものなどを確認する者は、何ひとつ確認してはいない。文学を求める者は、かくされているものだけを求めている。文学を見出す者は、文学の手前にあるものを、より悪い場合は、文学を彼方にあるものを見出しているのだ。だから、結局のところ、あらゆる書物が、おのれが愛するものの本質として追求し、情熱的に見出そうとしているのは、文学ならざるものなのである。(p287-p288)