齋藤希史『漢文脈と近代日本』(3)

日本外史』は、保元・平治の乱による源氏・平氏の台頭から徳川の天下統一に至るまで、武門の興亡を記したものです。それが大ベストセラーになった原因については、やはり、武家の興亡という歴史そのものの面白さがあると思われます。……『日本外史』は、お手本とした『史記』がそうであるように、ドラマ性や臨場感を重視してこの時期の歴史を描こうとしました。こうした手法は、歴史叙述としては、かなりすれすれなものになります。徳富蘇峰は、『日本外史』が「藝術品として誠に能く出来て居る」と言って、『八犬伝』や『水滸伝』を読むのとは変わらない面白さを指摘し、「保元平治より慶長元和の治乱興廃を、劇作家的眼光を以て之を観、劇作家的筆を揮うて之を描き出した」と称賛しています。つまり、ほとんど歴史小説としてしか見ていないようなものです。もう一つは、よく言われるように、君臣の分を重んじる大義名分論を、皇室と武門との関係に当て――つまり皇室が君で武門が臣というわけです――、尊王思想を記述の根幹としたことが、時代の好尚に合ったということもあります。……さらに言えば、書かれているのが武門の興亡であることが、士族階級もしくはそれへの志向をもつ人たちによって、自らが何者であるかを知るようになった、ということもあるでしょう。そういう観点からすれば、尊王思想も、つまるところ、自身の行動原理を求めてのことであったと言えますし、山陽の『日本外史』がひたすら武門のことを記すのも、やはり士としての意識のなせるわざであったことが、見えてきます。(p64-p66)