金森修『バシュラールー科学と詩』

 

バシュラール―科学と詩 (現代思想の冒険者たち)

バシュラール―科学と詩 (現代思想の冒険者たち)

 

 

本書は、僕が学部生の時分から何度も読んできた本でした。大抵は、自分が何らかの事で躓いた時には読み返してきた本の一つでした。だけど、挫折した時に生活が逼迫していた時に、古本屋に売り払ったので、行き詰ったら、図書館で借りては読み返してきた愛着のある本の一つです。本書は文庫版で復刊しても良いほど、入門書としても質が高いものだと思っています。また本ブログにも過去に読書メモとして残しています。

http://n-shikata.hatenablog.com/entry/20110114/p1

http://n-shikata.hatenablog.com/entry/20110114/1247741426

http://n-shikata.hatenablog.com/entry/20110114/1247741427

 

 

バシュラールは生存中に二十三冊の著作を公刊し、死後出版や友人の版画家フロコンの版画集も考慮にいれれば、さらに六冊の本を残している。その生の豊かさは外面的事件よりは内面の表われとしての本のなかにこそあるように思える彼としてはある意味で当然なのだろうか。……だが七十八年というは決して短くない生涯であり、しかも彼が生きた時代は決して人を平穏無事のまま放っておいてはくれなかった。彼が生きていた間(1884-1962)に人類史上未曾有の大戦争が二回もあったというだけで、そのことはよくわかるだろう。だから彼の生涯にはどんなドラマもなかったはずはない。にもかかわらず、それをめぐる記述は実にあっさりしすぎているようにみえる。いや、おそらくはそれでいいのだろう。……彼が私たちに伝えたいと思っていたのは彼の個人的生活そのものというよりは、それは何らかの形で越えたものだったはずだからだ。(p17p18

 

 

僕は本書を通して、バシュラールの思想というより、いくら陳腐すぎる表現としても、やはり彼の「生き方」を考えたかったから、手に取ったからにすぎません。バシュラールが同じ年頃の時に何をしていたか、そんな単純な理由からでした。本書の文末にある略年譜をみると、20代前半から後半にかけて、バシュラールは、郵便局員として勤務しながら、時間を惜しむかのようの勉学にあけくれ、28歳の時に、数学のリサンス(大学三年段階修了証明)を取得。3035歳までの時期は、結婚を挟みながら、第一次世界大戦の最前線に赴いて、生死を彷徨い、その間に娘の誕生と引き替えるように、35歳の時に夫人は病死で離別。そして同じ時期に、年齢的な限界を感じたのか、長年の夢だった電話通信技師になる夢を諦めています。

寡夫として娘を育てながら、地元のコレージュで物理・化学を教える傍ら、当時の学界では遅蒔きといえるほどですが、哲学について猛勉強し、ソルボンヌ大学に博士号を提出した時は、43歳。そしてディジョン大学で職を得たのは、46歳もの年月が経っていました。

「天国は「巨大な図書館」のなかにある」(p24)と、友人にバシュラールと語ったそうです。本書を通して思うことは、バシュラールの思想が科学認識論と詩論を縦横無尽に行き交う著作を次々と出したその知的営為にこそ、彼自身が「本的存在」とも言える「生き方」を体現したような人物だったのではなかったか、と考えざるを得ないのです。

バシュラールの思想は、金森先生が手際良く、噛み砕きながら解説をしているので、僕が付け加えるべきことはありません。本書は僕自身にとっては、「原点回帰」の意味合いが強い一冊なので、新年の読書紹介として、ふさわしいかなと思い、紹介しました。