アガンベン.G『ホモ・サケル』(4)

我々は今日、人道的なものと政治的なものが分離されているという状況を経験しているが、これは人権と市民権の分裂の様相である。今日、超国家組織の活動としだいに並ぶようになっている人道的組織も、結局は人間の生を、剥き出しの生ないしは聖なる生という形象において理解できるにすぎない。まさにそれゆえに、そうした人道的組織は、自分が相手どって闘うべき諸勢力とのあいだに心ならずも秘かな連帯を維持している。最近おこなわれたルワンダ難民のための資金集めの宣伝活動を見さえすれば理解できるが、人間の生はここでは、もっぱら聖なる生、つまり殺害可能かつ犠牲化不可能な生とみなされている(そしてそれにはたしかにそれなりの理由がある)。人間の生は、聖なる生であることのみ救助や保護の対象となるのだ。「生きている彼に会うことは次第に難しくなる」というルワンダの子供の写真を、人は金を集めるために見せつけたがっているが、あの子供の「懇願的な目」こそ、現代の剥き出しの生のおそらくは最も意味深長な暗号であり、人道的組織はこの暗号を、国家権力のちょうど正反対の立場から必要としている。人道的なものは政治的なものから分離されると、主権が自らの基礎としている聖なる生の分離を再生産することしかできない。例外化の純粋空間である生政治の範疇なのだ。(p184