アガンベン.G『アウシュビッツの残りのもの』(4)

 かつてモーリス・ブランショは〔『終わりなき対話』)のなかで〕アンテルムの著作を論じて、「人間とは破壊されないものであるが、そのことが意味するのは人間の破壊には限界がないということである」(Blanchot,p.200)と書いたことがある。この場合、破壊されえないものは、果てしのない破壊にどこまでも抵抗するもの――人間の本質、もしくは人間のきずな――を意味してはいない。ブランショは果てしない破壊のなかに「原初的な人間のきずな」が他人とのきずなとしてあらわれるのを見てとっているが、これは自分の言葉を誤解しているのである。破壊されえないものは、本質としてもきずなとしても存在しない。右の文句は、もっと複雑であると同時にもっと単純でもある別の意味に読みとらなければならない。「人間とは破壊されないものであるが、そのことが意味するのは人間の破壊には限界がないということである」は、「人間は人間よりも長く生き残ることのできる者である」と同様に、定義ではない。定義とは、よい論理的な定義がすべてそうであるように、種差を与えることによって、人間の本質を定めるものである。人間が人間よりも長く生き残ることができ、人間の破壊のあとも残っているものであるのは、まだ破壊されていない人間の本質、あるいはまだ救出されていない人間がどこかにあるからではない。人間的なものの場所が分裂しているからである。(p182-p183