近世の浄土真宗について調べてみて

近世宗教社会論

近世宗教社会論

近世宗教世界における普遍と特殊―真宗信仰を素材として (日本仏教史研究叢書)

近世宗教世界における普遍と特殊―真宗信仰を素材として (日本仏教史研究叢書)

上記の二冊は、主に江戸時代における西本願寺教団に関して記述が割かれているのですが、

安芸国のような真宗地帯でも、門徒であっても、隅屋佐々木家などのような豪農層にあたる家では、伊勢神宮に参拝したり、厳島神社に祈祷を依頼する事例が取り上げられています。(引野著・第五章)

また、引野さんの著書では、藤井昭さんの「安芸真宗地域における信仰の構造」という論文を参照にして、安芸国の真宗門徒でも、豊作祈願や、雨乞いなどの祈祷は、阿弥陀仏に代替できないので、村落行事として行っていたことも論じています。

藤井昭さんの当該論文は下記の本に収録されているそうですが、僕は未見です。

瀬戸内海地域の宗教と文化 (1976年)

瀬戸内海地域の宗教と文化 (1976年)

そのように考えれば、「神祇不拝」というのが、本山でも、強固な教学的方針ではなかったのかも、と考えた次第です。

ちなみに、東本願寺教団の竜温にしても、神儒仏一致論を前提とした議論が展開されておりまして、「総斥排仏弁」でも、竜温は「神祇」を認めています。竜温によれば、俗世間では、「神祇」=「王法」でもあるからで、確かに門徒に求める基本的な心構えは、「弥陀一念」には違いないのだけれど、「王法=神祇」は旨とするべきものでもあるから、この二つの態度は矛盾しない、と考えている節が見受けられます。

もう一つは、江戸時代の浄土真宗は、西本願寺東本願寺も、かなり組織的に布教活動を行っているため、その点から、「浄土真宗は、草奔の名も無き民に寄り添いながら、教えを伝えてきたのであり、何もしない他宗派と一緒にしないで欲しい」という、竜温が示すような強烈な自意識は、明治仏教界の寵児となる島地黙雷にも見られるものです。

その意味で、幕末維新期の仏教界をめぐる歴史的状況が、真宗僧が抱くような、「先鋭化したエリート意識」とも呼べるものを形成する契機になっているのかな、と漠然とながら考えた次第です。

これは、二冊の本を読んでの僕なりの雑感ですので、厳密な考察と呼べるものではありません。メモとして書き留めておく次第です。