小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか』

武士はなぜ歌を詠むか  鎌倉将軍から戦国大名まで (角川叢書)

武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで (角川叢書)

和歌を創作し鑑賞するという文学行為は、個人のうちで完結しない。歌人は、文学観はもちろんであるが、政治的信条や立場を同じくするグループに所属し詠歌した(これが歌壇の最小単位である)。そして題を得る、構想を練る、添削を受ける、料紙に記す、作品を読み上げる、といった一連の行為は、すべて一定の作法故実、そのグループで通用するルールにのっとったものであった。しかも作品が公開・発表される場の営み、つまり歌会・歌合は、程度の差はあるにしても、共同体の構成員である自覚の下になされる、厳格な儀礼である。文字として遣った和歌はおおかた題詠歌であることになる。そのために中世和歌と言えば、誰もが似たような表現でひたすら同じテーマを詠むだけの退屈な文学、というのが決まり文句であるが、和歌とは、古今・後撰・拾遺の三代集によって選び取られた素材と詠法を基盤とし、その枠内で見出だした少量の美を、やはり王朝時代の雅語によって表現するものだから、すぐにそれとわかる個性などむしろあってはならないのである。敢えて言えば、決まった筋書きのもとに演じられる神事や藝能に近い。(p15-p16)