金文京『漢文と東アジア』




漢文と東アジア――訓読の文化圏 (岩波新書)

漢文と東アジア――訓読の文化圏 (岩波新書)





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 近年の人文学において、「東アジア」を論じる研究書を見かけることは珍しくなくなった。ヒトやモノの移動だけでなく、情報流通や情報へのアクセス権をめぐる配分などが、問題として様々な場面で語られている状況こそが、「東アジア」地域の構造的変動を物語っているといえよう。


「東アジア」研究を行う必要性を重々承知していながらも、自らどのように「東アジア」と向き合い、そして「東アジア」へと開いていくのか。評者自身も、現時点でそのことを説明できる視点さえ定まっていないため、いま起きている「東アジア」地域における様々な文化的・政治的事象の構造的変動に対して、むしろ、「戸惑い」さえ感じることが以前に比べて多くなったことは、あらかじめこの場を借りて告白しておきたい。

 しかしすくなくとも、「東アジア」地域を説明する包括的概念として、「漢字文化圏」を提唱することには、検討されるべき余地があるように評者は考えている。それにはいくつか根拠となる理由があることを述べなければならない。前近代の「東アジア」地域において、漢字を用いた書記言語としての漢語・漢文が、外交やコミュニケーションの道具として使用され、広域共通語としての役割を果たしていたことは確かである。漢語・漢文は、行政文書・法律・歴史の記録・経典などの高度な知的営為を要求されるときに、必要不可欠な「高位言語」として機能していた。その意味で漢語・漢文は、ファーガソンが提起した「ダイグロシア」の定義にほぼ当てはまる*1しかしながら、それが広域共通語として流通可能であった圏域を、かりに「華」(中心)と「夷」(周縁)という基軸を設定したとしても、「華」(中心)である中国大陸でさえ、漢語・漢文が一元的支配をしていたわけではなかったことを想起するべきだろう。

それが顕著なのは、清朝期における「満漢合璧」である。「満漢合璧」とは、支配層である満人集団が、圧倒的多数を占める漢人社会を統治するために、公文書において満語と漢語を併用した言語政策のことである。それは清朝が多数派を占める漢人社会だけでなく、非-漢民族集団を包摂した帝国としての性格を表している。また、清朝と接触する内陸部の諸藩やロシアとの対外交渉においては、満語のほかにモンゴル語やロシア語、さらにはラテン語が併用されることも珍しくはなかった。*2さらに圧倒的多数を占める漢人社社会においても、書記に用いられる文言としての漢語・漢文と、日常会話として用いる白話としての漢語・漢文のあいだでさえ、使用される「語」と「文」は乖離していた。また、「現代中国語」の標準となっている北方官話と粤(えつ)語(広東語)と閩(びん)語(福建語)との言語的差異は、それを「方言」と呼称するよりも距離があると言われている。*3このような、中国における言語現象も含めた形で、「夷」(周縁)である日本・朝鮮・琉球・ヴェトナムなどの周辺諸国が、どのように漢語・漢文を受容し、歴史的な展開が行われたのかということを省察するのも今後の課題として挙げられる。

 以上のように、地域的横断性と言語的多様性を内包した圏域を、短絡的に「漢字文化圏」と称することには、いくつかの留保が必要だろう。いうまでもなく、近代国民国家論が抉りだしたのは、「文化本質主義」に陥った自己認識への批判である。だが、「漢字文化圏」という概念は、その意味で「文化本質主義」に陥っていないだろうか。ここで評者が念頭に置いているのは、自らの意志で、「日本」に学びに来る留学生たちの姿が、すでに「日常」となっている人文学の研究現場である。そのような混成的な他者を含めた場所では、言葉の壁だけでなく、必ずさまざまな誤解や聞き間違いが生じる。だから、我々はそもそも均質的で雑音が入らない相互的な共感に支えられた関係性を想定してはならず、むしろ異言語的な聞き手に向かって、何かが抜け落ちてしまうゼロ度の了解も自ら引き受けるような語りの「構え」が必要なのではなかろうか。*4


そのような視点から見ると、漢語・漢文とは、「東アジア」地域の流動的な状況で、さまざまな屈折や接続を繰り返した歴史的葛藤の所産であることを考慮しなければならない。その歴史的葛藤の一端をとらえるものとして、「訓読」現象があげられる。本書は、「東アジア」地域における「訓読」現象を包括的に論じている。


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本書の構成は以下のようになっている。


はじめに


第一章 漢文を読む―日本の訓読


   1 訓読とはなにか?


   2 訓読と漢訳仏典


   3 訓読の思想的背景


   4 草創期の訓読―奈良末期から平安中期まで


   5 完成期の訓読―平安中期から院政期まで


   6 訓読の新たな展開―鎌倉時代から近代まで


   7 明治以降の訓読


第二章 東アジアの訓読―その歴史と方法


    1 朝鮮半島の訓読


    2 新羅の訓読と日本の古訓点


    3 朝鮮半島における訓読の思想的背景


    4 中国周辺の訓読現象


    5 中国の訓読現象


第三章 漢文を書く―東アジアの多様な漢文世界


   1 東アジアの詩の世界


   2 さまざまな漢文


おわりに―東アジア漢文文化圏


   


 本書は日常的な風景から書き起こされている。たとえば「発券」や「券売機」という語順である。「日本語」の言い方には、目的語(券)+動詞(発)と、動詞(発)+目的語(券)が混在しているという。また「発券」などのように、「読書」(書を読む)とか「登山」(山を登る)などの中国語的表現が多いこと。また、発音自体も「券」(ケン)・「売」(バイ)・「発」(ハツ)など、中国語からの影響がみられると著者は述べる。また韓国の事例も紹介されており、例えば「건냉소에 보관요」という言い方は、「乾冷所に保管要」と直訳できるが、中国語の場合は「要保管」となる。まず「乾冷所(건냉소)」という言い方も韓国独特の読み方であり、日本語や中国語にはない表現である。さらにヴェトナムの事例もあげて、ヴェトナムでは、「図書館」のことを「書院」・「宝蔵院」と表現する。


 以上のような事例を紹介したうえで、本書は漢字をめぐる問題を理解するためには、漢字がどのように用いられ、その漢字における語彙の組み合わせと、その文章の作り方を考慮に入れたうえで、いわゆる「漢字文化圏」における多様なあり方と歴史的背景を考えなければならないと述べる。それを読み解くキーワードが、「訓読」という現象である。 


第一章では、日本における「訓読」の歴史的背景をたどりながら、「訓読」とは仏教経典の漢文を翻訳するために生み出された技法であることを論じている。本書で論じられている事柄を理解するためには、古代東アジア世界の歴史や仏教経典に関する全体的な知識が必要なので、評者がまとめるのは不適切であろう。力量不足を承知の上で、いくつか論点を絞りながら整理を行いたい。


仏典の原語は、いうまでもなくサンスクリットである。聖書やコーランは、神の言葉であり、神聖かつ正統な言葉で語らなければならない。教義に背く言葉は排除されたのである。しかしながら仏典は、偽典なども許容し、また翻訳も許される。なぜそれが可能なのか。『大般涅槃経』の「文字品」には、仏の言葉として、「所有(すべて)の種々の異論、呪術、言語、文字は皆これ仏説にして、外道の説にあらず」と説かれている。つまり、世界中の異説はすべて仏の言葉であり、たとえ言語や文字が異なっていても、仏典の教えは普遍的な信念に基づくものであると指摘する。しかしながら、サンスクリットで書かれている仏典は、仏の教えであるかぎり、厳密かつ正確に翻訳しなければ意味がない。古代中国では、訳経院と呼ばれる機関を作り、多くの僧侶や官吏が集まり、漢訳するために集団分業制をとった。サンスクリットを漢字に音写し、文体を整え、逐語訳をするという作業を行った。そのプロセスを経ることにより、東アジア世界では、古典漢語だけが、厳密性と正確性を備えた広域共通語として形成されたことを指摘したのは、本書における重要な論点といえよう。その漢訳仏典における翻訳の技法として生み出されたのが、返り点や送り仮名を交えた、日本における「訓読」である。


「訓」とは、難しいことを分かりやすく解説するという意味である。漢訳仏典を読むときに、文法的に語順を並び替え、語順符や句読点、返り点やヲコト点などの記号が用いられたのも、仏典がすべての言語に「翻訳可能」であるという通念に基づいたものであると本書は述べる。本地垂迹説や梵和同一説が盛んになる平安中期以降は、「訓読」の技法が様々な流派に分かれて記号体系が厳密化し、漢訳仏典の全文に訓点が施されるようになる。このように「訓読」現象を考察するには、仏教的世界観と密接な関係があることを見逃してはならないと、本書は論じている。


本章における二つ目の論点は、日本における朱子学の輸入と展開である。とくに本書で詳しく述べられているのは、桂庵玄樹(一四二七〜一五〇八)が果たした役割である。桂庵玄樹は、漢文を助辞や置字を用いて「訓読」することを批判し、漢文直読による原文志向をめざした。また朱子学による「四書」の解釈は、原文の忠実な理解と実践を重視し、大きな役割を果たしたと述べる。評者はこの点に関して果たして妥当なものであるかどうか、議論の余地があると思っている。しかし本書が新書という平易なスタイルで書かれているので、それを要求するのは酷であろう。その意味で、朱子学と「訓読」現象との関係性は、より精査していくべき課題として残されているだろう。


第二章では、朝鮮半島・契丹・ヴェトナム・中国を含めた、東アジアにおける「訓読」現象について着目している。本章で詳述されているのは、朝鮮半島における「訓読」現象の歴史と思想的背景である。朝鮮では、漢文を「訓読」する方法は、「口訣(구결)」や「吏読(이두)」と呼ばれる。しかしながら、日本の漢文訓読のように、返り点やヲコト点が使われることはない。また、漢字の朝鮮語への翻訳を「諺解」という。朝鮮王朝では、漢文は直読されるのが普通であり、その理解を助けるために「諺解」が行われていた。世宗大王(一四一八〜一四五〇在位)によって、「訓民正音」が創製される(一四四六)が、「諺解」が生まれた背景について、中国語(古典漢語)の口語の流行をあげている。明朝との外交関係を円滑に運ぶため、「司訳院」が設置され、通訳官が養成されるだけでなく、多くの官吏も中国語(古典漢語)を学んでいたことを論じている。


また本章では、朝鮮半島における「訓読」の思想的背景についても言及している。新羅・高麗時代には、漢訳仏典の「訓読」が行われていたことを論じたうえで、朝鮮半島の朝鮮震檀説と、日本の本地垂迹説との世界観が対比され、朝鮮半島におけるナショナリズムの有力な根拠としている。さらに、契丹ウイグル・ヴェトナムの言語と文字の相違についても紹介がなされ、漢文の翻訳がなされる過程で語順を改める、「訓読」現象が広域的な拡がりを有していたことを論じている。


第三章では、東アジア漢文世界における多様性を捉えるうえで、マクロ的視点の必要性が論じられている。わかりやすい例として漢詩が述べられているが、共通広域語としての漢文世界の拡がりは、外交だけでなく、教養を披瀝するものであり、その意味で高度に洗練された知的営為でもあったことを指摘する。


さらに本章では多様な文字や書記体系の関係から織り成されることを論じており、規範的漢文ではない、変体漢文の多様なあり方を詳細な事例に基づいて言及している。本書は、このような変体漢文の多様性こそが重要であり、「変体漢文は規範的漢文からも、自国文字の文学からも排除され、いわば継子的な存在」として看過されてきたが、「多様な漢文世界の大きな部分を、実はこの変体漢文が占めている」(二二〇頁)という今日的状況を無視してはならないと述べている。最後に新たな参照枠として、「漢字文化圏」という概念を批判し、「漢字から直接、間接に派生したさまざまな固有文字による文章、さらには固有文字と漢字の混用文」も含めた、「漢字で書かれたすべての文体」を理解する必要があるとし、「漢字文化圏よりも漢文文化圏」という呼称の方が、より相応しいであろう」(二三〇頁)と提起し、本書を終えている。以上のように、本書の内容を紹介してみた。次節では本書の内容をうけて、評者なりにその意義を考察することで、本稿における役目を果たしたい。


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 本書の意義を端的にいえば、「東アジア世界」が、個別地域社会が「訓読」という知の技法を通して、漢文テクストの「読み方」の多様性を包摂する世界であったことを明らかにしたことである。著者は長年にわたり、「訓読」が日本のみに限らない現象であることを明らかにし、本書はその研究蓄積の所産である。*5また、近年の研究動向をふまえるならば、それぞれの言語世界で、どう「読まれ」、その「知」がどのように体内化されてきたプロセスを、思想史的文脈に即して明らかにするだけなく、異なる「読み方」を形成してきた思想運動の集成として、「東アジア世界」を捉え直すことにも繋がるだろう。*6その意味において、「訓読」という知の技法は、「東アジア世界」の〈普遍〉と〈固有〉を内包した両義的な側面を表しているだろう。


評者は、このような多様に富む「東アジア世界」を一元的に「漢字文化圏」として提唱することへの違和感については前述したので、ここでは繰り返さない。評者の課題を含めて考えるならば、漢語・漢文を共有してきた「東アジア世界」を共時的な視点から見ることの重要性だと思われる。評者の力量もあり、本書の内容をどこまで理解したのか、心許ないが、著者ならびに読者諸氏の御寛恕を願うことで、拙い本稿を終えたい。


(『日本思想史研究会会報』28号、2011年。pp55-pp60)


文責:岩根卓史




*1:Ferguson,C.A,Diglossia.Word,no15,1959,pp325-40.


*2村田雄二郎「ラスト・エンペラーズは何語を話していたか―清末『国語』問題と単一言語制」、『ことばと社会』第三号、2000年。


*3:平田昌司「雪晴れの風景―中国言語圏の『内』と『外』」、『中国―社会と文化』第九号、1994年。


*4酒井直樹『日本思想という問題―翻訳と主体』岩波書店、1997年。p8


*5:金文京「漢字文化圏の訓読現象」、和漢比較文学会編『和漢比較文学研究の諸問題』所収、汲古書院、1988年。


*6:中村春作「『訓読』論から東アジア漢文世界の形成を考える」、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉編『続「訓読」論―東アジア漢文世界の形成』所収、勉誠出版、2010年所収。