ヴェイユ.S『自由と社会的抑圧』(4)

第4章 現代社会の素描。

個人が制御できぬものはことごとく集団が奪いさる。かくて科学はすでにはるか以前から、そしてますます大きな割合で、集団の仕事になりつつある。じつをいうと、あたらしい成果はつねに特定の人間の仕事である。……実生活がいよいよ集団的な色彩をおび、個人がいよいよ個としての重みを失うにつれて、この傾向は強まっていく。技術の進歩と大量生産は、労働者をいよいよ受動的な役割へと追いこみ、加速度的に増大する比率と規模において、労働者は最終的成果との関係性を構想せずとも必要な仕草をおこなえる労働形態に到達しつつある。他方、企業があまりに茫漠かつ複雑なものになりはてたせいで、人間は自己がそこに帰属していることを充分には自覚できない。さらにまた、あらゆる領域において、社会的生の重要な職掌にある人びとはみな、ひとりの人間精神の射程をはるかにこえる責を負う。社会的生の総体というものは多様な要因に依存するのだが、ひとつひとつの要因は了解不能なまでに曖昧で、互いに錯綜する関係性へと絡まりあっており、その複雑なメカニズムを理解しようと思いつく者すらいない。個人にもっとも本質的にむすびつく社会的機能、すなわち調整と管理と決定からなる機能は、個人の能力をはみだして、ある意味で集団的となり、いわば匿名的となる。(p121-p122)