オクサラ.J『フーコーをどう読むか』(2)

「第3章 人間の死」より。

フーコーは、初期の著作のさまざまな文脈で、考古学というメタファーを用いる。このメタファーを自身の著作のアプローチの名として体系的に使いはじめたのである。……ところで、考古学という術語はすでに、フランスの歴史研究における二つの流れの支持者たちによって方法論的メタファーとして用いられてきたものである。これら二つの流れは、フーコーに甚大な影響を与えている。まず、フランス歴史認識論が挙げられる。その最も知られている代表者は、ガストン・バシュラールとジョルジュ・カンギレムである。もう一つは、アナール派の「新しい歴史」であり、これは第二次世界大戦後主流となった史料編纂に関する学派である。多くの相違があるものの、この双方の流れは非連続性への焦点化、物語的史料編纂の拒絶、歴史調査はつねに部分的にその主題素材を構成しているという批判的自覚を分かち合っている。……考古学という考えは、フーコーによる科学史へのアプローチの主要な特徴を効果的に捉えており、彼のアプローチがどの点で伝統的歴史記述と異なっているかに光を当てるものである。従来の意味での考古学の意義を反映する個々人の業績達成より、フーコーはむしろ、問題の層状化に関心をもっていた。……彼は私たちの思考という土地を深く掘り下げていく。それは、個々人のさまざまに異なる見解や行為の背後に存在するより長い時間尺度およびより一般的な思考様式を定義するためである。フーコーは科学史における分析の異なったレヴェル間を区別し、個々人の観察、実験、理論の下にある層を見通したのだった。(p55-p57)