典拠探し

この二日間。ソースを探すことに苦心していました。

儒学者の史料を読んで、その論拠となるソースを探しても、時間は無情に過ぎるだけ。

前近代の学者は、「これ常識だから」と言って、自らの博識ぶりをこれでもかと出してくる。

しかし彼らは、肝心な自論を「附載」として自分は遠慮しつつ、何を思ってか文字を小さくして論述することがよくあるので、まぁみつからない。みつからない。

それを言っている学者が「典拠だよ」と示している史料が、そもそも膨大な量。

だめだー。これだけで二日も潰れたー。

このままだと壊れそうだから、今日はもう寝ることにします。