隠岐さや香『科学アカデミーと「有用な科学」』(3)

第4章 再定義される科学の「有用性」より。

これまでにも言及してきた十八世紀西洋世界における「有用」の概念はいわゆる実利主義よりも、むしろベンサム的な「功利主義」に近い倫理的な響きを伴っている。……すなわち、「有用」は単なる物質的な次元での「役に立つ」という意味のみではなく、精神的・社会的な価値にも用いられる概念であり、ルネサンス期以後は教育・研究機関や科学書において「科学の有用性」という主題が頻出し、科学アカデミーの言説にも多く用いられていたのであった。……啓蒙期以降は「有用」や「有用性」の概念全般が道徳哲学、形而上学、神学的議論の展開とも密接に関わりながら重要視されるようになっていたからである。とりわけ自然神学と道徳哲学においては、自己愛(l'amour de soi)や情熱(passion)、利己心(int〓r〓t)といった従来ならば否定的な評価が与えられてきた概念が、神への愛など肯定的な概念と共に、全て「有用性」の次元から新たに再評価されていくような状況が生じていた。善の価値を計る要素としての「有用性」という議論すら出現しており、「有用性」はプラグマティックな次元で役に立つという意味を保持しつつも、非常に倫理的な次元でも用いられる概念となっていたのである。(p131-p132)