酒井直樹『日本思想という問題―翻訳と主体』輪読―第2章「日本思想という問題」

日本思想という問題―翻訳と主体

日本思想という問題―翻訳と主体

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1.要約

一 問いの設定

なぜ改めて「日本」の思想が問われなければならないのか。あるいは日本の「思想」が問われなければならないのか。なぜ日本思想が問題として提出されなければならないのか。歴史学、文学、哲学といった人文科学に包摂される分野だけでなく、社会科学を含めて「思想」が論じられてきたことは言うまでもない。つまり、人文科学そして社会科学が「思想」として考察されることがひんぱんにあった。……、しかし、「思想」なる語が「日本」と結びつき「日本の思想」となるとき、事態は新たな次元を加えると考えた方がよいのではないか。(p35)

そこで、「日本の思想」の最も直截な定義は、日本思想史の主題として研究される対象ということになるだろう。つまり日本思想史を「日本の思想」の存在によって規定するのではなく、「日本の思想」を日本思想史の存在によって規定するという観点がとられ得るはずである。このことは、もちろん、「日本の思想」が日本思想史の研究のなかでのみ問題にされるということではない。そうではなくて、「日本の思想」とは何かという問いかけに対する最も頼り甲斐のある答えは、その専門分野である日本思想史のなかに見出だされるであろうという期待を持つのは、当然のように思えるからである。(p35-p36)

むしろ日本思想史は「日本の思想とは何か」という問いによって動機づけられた学問分野と言ってよいだろう。研究者は漠然とした了解に導かれつつ、「日本の思想」のより明確な定義を目指して「日本の思想」の読解にたずさわるのである。……すなわち、「日本の思想とは何か」という問いを設定することによって、その問いに対する答えを知りたいという欲望が生じるとき、言説の領域としての日本思想史は始まる。そこでは、「日本の思想」の本質は規定されつつも決して提示されえないものとして過去に向かって投射され、決して充足されることのない欲望によってこの知識の制度は維持されていると言える。(p37)

である以上、日本思想の問題を扱うためには「日本の思想とは何か」という問いにまつわる欲望から外れたところから考察を展開するのでなければならないだろう。そうした欲望の回路からずれたところへと絶えず動きつつ「日本の思想」を知りたいと願う代わりに、そうした欲望が再生産される機構を解析するのでなければならないであろう。つまりこうした欲望の構成要素である「日本」や「思想」を「本気に取ること」をやめなければならないだろう。ただし、このように欲望からのずれを取りつつ考察を進める仕事は、経験的な判断を中止して得られるある種の超越論的な意識の立場を取ることではない。欲望が焦点を結ばないように絶えず欲望を散らしてしまうためには一定の術(アート)が必要なのだ。それは、日本思想の問題がまともな問題として結晶し日本思想史を構成してくるのを避けるための一連の問いを用意することである。そして日本思想史を構成する諸条件を歴史化する一種の反歴史的な「歴史」と、この術(アート)を呼ぶことができるかもしれない。(p37-p38)

二 日本思想研究者と発話の立場

「日本の思想」を支える「日本人」や「日本民族という国民的主体」の暗黙の存在が、全く論証抜きに思い込みとして前提されてしまっている点を指摘するだけでは十分ではない。私達は、さらに、過去の歴史を現在どのように正確に再現=表象するかという事実充当的な問いだけでなく、「日本の思想」を問うことによって人は何をするのかという遂行的な問いも立てなければならないからである。(p42)

1「日本の思想」の内からの発話と「日本の思想」の外からの発話

研究者は「日本」を対象化しうる「日本人」と「反日本人」の対立が有意性をもつ次元とは異なった次元にある「非日本」的な立場に立ち、かつ、「日本の思想」と連続的な「日本」的な立場か、それとも非連続的な「反日本」的な立場のいずれかに同一化を図るのである。研究者が日本人として語るためには、こうした発話の位置の二重性と両義性は避けられない。すなわち、研究者が日本人(=内人)として、あるいは反日本人(=外人)として語るためには、研究者は「日本人」/「非日本人」あるいは「反日本人」/「非日本人」という両義的な位置をとらざるをえないのである。しかもこの両義性は、研究者が「日本人」(あるいは「反日本人」)に自己を同一化する過程で生ずるものであって、この両義性がなければ「日本人」という主体的な立場から語ることは不可能なのである。(p46)

日本思想史の近代性は、「日本」と「反日本」が日本と西洋の二項対立に回収されたというだけでなく、「日本」と「非日本」も同じ二項対立に回収されてしまったという歴史的偶然に、そのもっとも重要な性格を負っている点である。……日本思想史を語りの構造としてみる時わかってくることは、日本思想史が西洋思想史に対決するものとして発想されてくることであり、西洋に思想があったなら日本にも思想があるべきだという対称性と平等への要請に支配されたかたちで発想されてくることである。西洋に哲学があったなら、日本にも哲学があるべきだという欠如の意識によって、日本思想史は始まらざるを得なかった。まさにこの模倣性の欲望のために、西周以来の日本には、西洋のように体系的な思想が存在しない、あるいは日本には哲学と呼ぶに値するものが存在しないという嘆きが繰り返されることになる。(p46-p47)

2 理念化された読者としての西洋

仮想された西洋なるものとの落差によって自国の同一性を設定し、西洋への模倣と反発の力学から自国の歴史を作りだそうとする企ては、ほとんど全ての「非西洋」知識人が直面しなければならなかった歴史的な使命とでも呼ぶべきものであった。近代を特徴づける西洋中心主義は、非西洋の知識人の語りの様式の中にもありありと現われるのであって、日本思想史は、こうした意味で、近代世界の刻印を紛うべくもなく負っている。したがって、「日本の思想」の担い手として想定された「日本人」や「民族としての国民共同体」も、一面では、この力学の中に位置づけて理解されなければならないだろう。つまり、日本思想史は、研究者が「日本人」という主体的立場に同一化する場合は、「我」のあるいは「我々」の思想の開示として展開する。しかし、この自民族あるいは自国籍の強調は対立項の存在を前提にしなければ意味を持たない。そして、事例として中国やインドが対称項として動員されることはあっても、潜在的に対立項として想定されているのは同時に「反日本」であり「非日本」である「西洋」または「欧米」なのである。(p50-p51)

三 翻訳の実践系と対−形象化の図式

1 比較としての日本思想

「日本の思想」を求める欲望は、翻訳の実践系にもとづく対−形象化の図式によって生み出されると、とりあえず定式化しておこう。翻訳の実践系とは、ひとつの言語から他の言語への対称的な変換を維持するイデオロギーである。現在、最も常識的に理解されている翻訳の作業はこのイデオロギーによって動機づけられている。(p52)

対−形象化の図式という用語で、私は、日本対西洋といった比較の枠組みが、基本的に想像的なものであることを言いたい。……ここで強調したいのは、形象への欲望は、ひとつの形象に向かって一元的に展開するのではなく、他との形象との対比を含みつつ、空間的に展開する点である。「日本の思想」への欲望において、日本が形象されるためには、西洋が形象化されなければならなかったのである。(p53)

2 翻訳と未知の言語

ここで翻訳を再現=表象する機制を考えるとき、二言語翻訳という考え方そのものが想像的なものであることが解ってくる。(p56)

3 統制的理念としての外国語

翻訳の対−形象化の図式は、その対称的な構図のために、理念としての外国語の図式であると同時に、理念としての自国語の図式ともなっている点を忘れるわけにはいかない。……言い換えれば、自国語の体系的な統一体としての形象は、この図式との相関において対となる外国語の形象と同時に与えられるのであり、自国語は外国語と同時に生産されるのだ。したがって、自国語はある外国語にとっての外国語として与えられ、自国語に対する自己言及的な関係は、こうした対称的な翻訳の図式を前提しているのである。自己言及性は必ず外国語の位置から見られたいという契機を持たざるを得ないのはこのためであり、自己言及性が実は他者の視点から自分を見たいという転移的な欲望から自由になれない理由が、この対−形象化の図式に既に素描されていることは言っておく必要がある。既に知っているはずの自国語を知りたいという欲望は、必ず外国語への欲望を経由しているのである。(p61-p62)

4 日本の思想と対−形象化の図式

ここで私達は再び「日本の思想」の歴史的探求としての日本思想史が、二重に近代的である事実に出会わざるを得なくなる。それは、「日本の思想」を外国の思想から排除しつつ求めようとする近代性であり、また、「日本の思想」の対称項として「西洋の思想」をおくことによってしか理念としての日本思想史を作り得なかったという歴史的な制約のもつ近代性である。(p63)

日本思想史の近代性は、日本の思想という規定が西洋の思想を下敷きにしなければ成り立たず、しかもここで言う西洋がひとつの理念でしかありえない点にあると言いうるだろう。西洋を経験的な対象として考えられないのは、そのためである。そして近代と西洋が二重映しになって現われるのも、ひとつには、対−形象化の図式において日本の思想を考えざるを得ないからである。したがって、日本の特殊性を言うためには、理念としての西洋の一般性あるいは普遍性を前提とし、しかも、日本の思想の特殊性を概念化しようとする研究者自身は、対−形象化の図式に則りつつ、形象化された西洋と日本を俯瞰する位置から、思想の翻訳者として語らざるを得ないことになる。(p66)

四 主体技術としての日本思想史

1 存在被拘束性としての日本思想

「日本の思想」と連続の立場に「縫合」しつつ日本思想史の枠内で語ることは、まず、自らの存在被拘束性を対象化し問題視することである。「非日本」の視座から眺めることによって対象化された過去から継承された思惟の習慣や伝統は、研究者が「日本の思想」と連続の立場をとっているために、研究者「自ら」の思索の制約条件として引き受けなければならない一種の宿命として呈示されることになる。(p67)

しかし、日本思想史が政治文化批判としての役割としての役割をはたすためには、どうしても、これまで述べてきたように模倣性の欲望の対象として「日本の思想」を定立する機制を維持しなければならなかった。したがって、日本社会の政治文化批判をしつづけるためにも、模倣性の欲望を再生産する対−形象化の図式は維持されなければならなかったのである。(p67-p68)

(本章で検討がなされている丸山眞男の日本思想史研究については、後に検討を加える)

研究者は「西洋」への模倣的関係を通じて「日本」を再現=表象する可能性を得、また同一化の対象として「日本」を得る。つまり、「西洋」への模倣性を媒介にして、文化的同一性にすぎなかった「日本民族」が政治的共同体としての「日本国民」主体へと自己を制作するのである。とすれば、丸山氏の日本思想史がなすのは「国民」主体の制作であり、「国民」の作為のための主体的技術の考察であろう。(p73)

2 近代的世界と西洋のナルシシズム

確かに、非共約的な性格を「反日本」ではなく「非日本」としての「西洋」に見たため、「西洋」は認識の対象であるばかりでなく、非共約的であるにもかかわらず人格的関係を結ぶことのできる「他者」として与えられている。「反日本」としての経験的な「西洋」と「非日本」としての理念的な「西洋」が重ねられて与えられているのである。そして「反日本」としての「西洋」は、同列併存関係にある以上、多くの現実的欠点をもちそれらの欠点は「非日本」としての理念=「西洋」との落差として指摘され批判されうることになるのである。(p75)

こうした「西洋」と「日本」の関係が、ロバート・ヤングが「西洋のナルシシズム」と呼んだものにぴったりと添っているという点は記憶しておく必要がある。ある仮想された「西洋」という中心に対して「他者」が全て対称的な「他」として、基本的に「均質的なもの」として把握されるのである。……一見平等を保証するようにみえる同列的併存の図式は、「西洋」と「日本」がその同一性の形成において共犯的な関係をもち、西洋への思い込みが同時に「日本」の同一性を自己言及的に強化する機制を隠してしまうのである。すなわち、「西洋のナルシシズム」が同時に「日本のナルシシズム」である機制への洞察を抑圧する。「西洋」の同一性への我執と「日本」の同一性への我執が、同時に再生産される機制への視座が抑圧されるのである。「他者」はどこまでいっても「西洋」あるいは「日本」の「我々」の同一性を保証するために案出された、単独性を奪われた、特殊性としての「他者」であるにすぎないのである。(p76-p77)

五 「日本の思想」を問う日本思想史

「日本思想史」にとって中心的な役割を担わなければならないのは、だから、いかにして「日本」が構成されしかも日本思想史という学問分野を支える欲望を担ってきたかを問うことであろう。この問いを通じて私達は、「日本思想史」に関する知識を生産することによって如何に学問が政治に関わっているかを考え、そして知識と実践の関係一般に関する問題を考えられる糸口を得られるはずである。それは、一定の学問分野に携わるものが、その分野でうみだされる知識の可能性の条件を絶えず問い続けるという当たり前の作業の一部であり、と同時に、「日本思想史」がひろい意味での国民国家の再生産に果たしてきた役割を知るという歴史的な評価の仕事を意味している。ここに学問の実践への問いと術(アート)としての歴史との結節点を見いだすことはできないだろうか。(p77)

【小括】
本章での問題提起は、「日本思想史」という学知が、国民国家としての「日本」を再現=表象する言遂行的作業を問い直すことに着眼点がおかれている。さらにもうひとつ問われているのは、「日本の思想」を再現=表象するときに、「日本の思想」は「西洋」への模倣的関係においてのみ、共同体としての「日本」における文化的同一性を語る構造を再生産してきたということである。その意味において、「日本思想史」という学知は、「反日本」あるいは「非日本」を主張する研究者でも、その対称項となる媒介は、「西洋=近代」をひとつの理念であり、それを対象化することで、「日本の特殊性」を自己言及的に論述するというあり方であろう。その具体例として、丸山眞男を取り上げて検討している。

2.考察

以上のような本章の議論を踏まえたうえで、丸山眞男を考察する。これまで丸山の「日本思想史」の方法論への批判は、数多く出されてきた。*1酒井の議論もその一端を補っている。このような国民国家としての「日本」の創出という枠組みによる丸山批判への反論も提出されている。*2最近の研究では、丸山眞男の言説を「京都学派」との関わりから論じる研究など、同時代的文脈から丸山を読み直す動向が現れてきている。*3

丸山自身が「思想史」の方法について言及したものに、「思想史の考え方について―類型・範囲・対象」と題された講演がある。*4丸山は次のように述べている。

思想史家の仕事は、音楽における演奏家の仕事と似ているのではないでしょうか。・・・・・・彼らは彼らの演奏しようとする楽譜に基本的に制約されます。つまり楽譜の解釈を通じてその作曲者の魂を再現しなければいけない。そうして解釈をするには、その作品の形式的な構造とか、それに先行する形式あるいはそれが受け継いだ形式、その中に盛られているイデー、あるいはその作品の時代的な背景を無視することはできません。・・・・・・そういう意味における楽譜の「客観的な」解釈というようなものは事実上ありえません。演奏が芸術的であるためには、必然に自分の責任による創造という契機を含みます。しかしそれは自分で勝手に創造するのではない。作曲家の作曲が第一次的な創造であるとすれば、演奏家の仕事はいわば創造であります。(ママ)あとから創造する――ナッハシェップフェン (nachsh〓pfen)なのです。*5

続けて、丸山はこの例えに即して、思想史家の仕事を「いわば二重創造であります」*6 と述べる。そのうえで、その作業を「存在被拘束性」を有しているとする。

思想史家の思想というものはどこまでも過去の再創造の所産であります。(ママ)・・・・・・ですからそこには、一方歴史による被拘束性とともに、他方、歴史に対して自分が働きかける――歴史に対してというのは現代に対してということではなくて、歴史的対象に対して自分が働きかけることですが――という両方向性があります。こうして歴史によって自分が拘束されることと、歴史的対象を自分が再構成することの、いわば弁証法的な緊張を通じて過去の思想を再現する。このことが思想史の課題であり、またおもしろさの源泉である、というふうに私は理解しております。*7

「歴史に対して自分が働きかける」ということが思想史家としての仕事であり、「あとから創造すること」を丸山は少なくとも自身で認識していた。同時に丸山は思想家を「客観的形象」として捉えることを警戒している。

思想がひとたび骨肉をはなれて「客観的形象」と化した瞬間に、それは独り歩きをはじめる。しかもそれが亜流の手にわたって、もてはやされ「崇拝」されるようになると、本来そこにたたえられていた内面的緊張は弛緩し、多角性は磨かれて円滑となり、いきいきした矛盾は「統一」され、あるいは、その一側面だけが継承されることによってかえってダイナミズムを喪失して凝固する。*8

丸山が「あらゆる矛盾を貫いて執拗に響きつづけるある基調音」*9 を思想家に聴き取るとき、その「何ものか」についてはなにも言及していない。しかしながら、「何ものか」を言及しないことが、「思想史家」としての丸山眞男をあらわしているのではないだろうか。短い論考で舌足らずな面が多いが、出席者の意見を拝聴する次第である。

(2010年度後期大学院ゼミ報告。2010年12月6日)

文責:岩根卓史

*1:中野敏男『大塚久雄丸山眞男―動員、主体、戦争責任』青土社、2001年。米谷匡史「丸山眞男の日本批判」、『現代思想』第22巻1号、1994年。姜尚中丸山眞男と地政学的まなざし」、『大航海』18号、1997年などを参照。

*2:大隈和雄・平石直昭編『思想史家 丸山眞男論』ぺりかん社、2002年。間宮陽介『丸山眞男 日本近代における公と私』ちくま学芸文庫、2007年など。

*3:田中久文『丸山眞男を読み直す』講談社選書メチエ、2007年。伊東裕吏「丸山眞男と『近代の超克』」、『思想』1039号、2010年。また、丸山眞男のキリスト教信仰との関係から分析したものに、遠山敦『丸山眞男―理念への信』講談社、2010年。評伝的研究としては、苅部直丸山眞男リベラリストの肖像』岩波新書、2006年などを参照。

*4:丸山眞男「思想史の考え方について―類型・範囲・対象」。丸山眞男『忠誠と反逆』ちくま学芸文庫、1998年所収。

*5:同。p454−p455。

*6:同。p456。

*7:同。p457

*8: 丸山眞男「福沢・岡村・内村―西欧化と知識人」。同。p351−p352。

*9:同。p351