ドゥルーズ.G『フーコー』(6)

「褶曲あるいは思考の内」より。

しかし、様々な条件が、条件づけられるもの以上に普遍的なものでも、定常的なものでもないとしても、やはりフーコーが関心を抱くのは条件についてなのである。だから彼はいう。歴史的な探究をするのであって、歴史家の仕事をするのではないと。彼は心性の歴史を探究するのではなく、心的実在をもつあらゆるものを出現させる条件、つまり言表と言語の体制の歴史を探究する。彼は行動の歴史を探究するのではなく、可視的な実在をもつあらゆるものを光の体制のもとに出現させる条件の歴史を探究する。社会的領野の地平線で、制度が力の差異的な関係を統合する際の条件の歴史を探究するのだ。彼は私生活の歴史を探究するのではなく、自己との関係が私生活を構成する際の条件の歴史を探究するのだ。彼は様々な主体の歴史を探究するのではなく、存在論的でも、社会的でもある領野において作用する褶曲のもとでの主体化のプロセスの歴史を探究するのだ。(p219-p220)