ドゥルーズ.G『フーコー』(3)

新しい地図作成者(『監獄の誕生』)より引用

局在性の公準。つまり権力は国家権力であり、権力そのものは国家装置のなかに局在していると考えられている。そのため「私的な」権力さえ、見掛け上分散しているだけで、やはり特殊な国家装置にすぎないとされる。フーコーは逆に、国家はそれ自体、ある総体の効果として、歯車や焦点からなる多様体の効果として出現することを示す。このような歯車や焦点は、全く別の水準にあり、独立に「権力のミクロ物理学」を成立させるのである。私的なシステムだけでなく、国家装置の明白な要素もまた、一つの起源、様々な過程や実践を含んでいる。国家はこの起源、過程、実践を承認したり、統制したりするだけで、これを自分が構成するどころではなく、隠してしまって満足することさえある。『監獄の誕生』の本質的な思想の一つは、近代社会が「規律的」(disciplinaire)社会として定義されうるということである。しかし、規律は、制度とも、装置ともちがうものだ。なぜなら、規律はまさに、あらゆる種類の装置や制度を貫通して、これらを結びつけ、延長し、集中させ、これらが新しい方式で行使されるようにする権力のタイプ、技術であるからだ。(p53)