金森修『バシュラール―科学と詩』(1)

バシュラール―科学と詩 (現代思想の冒険者たち)

バシュラール―科学と詩 (現代思想の冒険者たち)

なぜ物理や数学のことを論じているときに詩に触れる必要があろう。そう常識はつぶやく。だがその混乱ぶりはそれなりに一貫しており、彼は自らの磊落な筆致を意識的に実行していたとしか考えられない。だから例えば科学を前にしてただちに顔を背けるような、精神態度、あるいはその逆に詩的言語を前にしてそこにただ蒙昧な文字連鎖しかみようとしない精神態度、バシュラールを十全に理解しようとするのなら、それらこそが最も避けるべき態度だといえる。・・・・・・彼は言葉の十全な意味で哲学者だったが、生涯にわたり〈哲学者〉に皮肉を浴びせ続けた。その筆運びはときに鋭く刺々しかった。その種の攻撃性は講壇で安穏とする同僚哲学者には不愉快なものに映ったのかもしれない。だがそもそも彼には一人の時間が似合うのだった。早く妻をなくしても再婚することなく一人で娘を育てた彼。それに思想や詩想が湧きでるのは誰もいない部屋のなかか、無名でいられる雑踏のなかではないのか。彼の独創性は彼の孤高の裏返しにほかならなかった。(p15-p16)