松浦寿輝『増補折口信夫論』(2)

言語の「間接性」への苛立ちが執拗に語られているという点への興味を除けば、さしたる取り柄のない若書きの言語論にやや詳しく触れたのは、「遠近法」の崩壊した折口の言語がわれわれの耳に「強制」してくるものとは、まさしくここで語られているような「斜聴」の体験にほかならないからである。彼の「古代」的な言語が、「お聞き及びかえ」の連〓によって恫喝し、また「耳明らめてお聴きなされ」という命令をわれわれの鼓膜に差し向けるとき、われわれに求められているのは、言葉を斜めに聞くという身振りそのものなのだ。(pp29)