『釋迢空ノート』(4)

迢空が考える、或いは理想とする「師弟」とはナマナカな関係ではない。「師弟というものはそこ(同性愛)までゆかないと、完全ではないのだ。単に師匠の学説をうけつぐというのでは、功利的なことになってしまう」という人である。「師匠の学説をうけつぐ」にしても、加藤守雄がする国学院での講義は、最初からすべて、迢空が前夜口述して筆記させたもので、加藤に教室でそれを読ませるだけという徹底ぶりである。もちろん「師」の方も、ハンパな覚悟ではそういうことは続かない。春洋は二十七歳で国学院大学の講師になっているが、その講義も加藤にしたような迢空の口述だったであろう。国学院内の短歌結社である「鳥船」に集う学生たちへも、たんに短歌の技術指導をするのではない。短歌をつくることにより、日本人が古代よりもちこたえてきた日本人の生活倫理を知覚し、またそこにある美を感覚する訓練をするのである。上手な歌を作る歌職人を養成するためではない。しかし短歌のタの字も知らぬ者には手とり足とり教えるところからはじめることになるから、その指導は、これまた相当なエネルギーを必要とする。(pp263-pp264)