吉田真樹『平田篤胤―霊魂のゆくえ』
- 作者: 吉田真樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/01/30
- メディア: 単行本
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篤胤説によれば、仏教は妄説として退けられるべきものであり、〈人はどのような生まれにもよらず、原初の神に連なる尊い霊魂をもつ〉というのが真実のありようである。この考え方は人々に幸せをもたらすはずである。何をなりわいとするにせよ、人には生きている意味があると教えてくれるからである。霊魂の尊厳は人を幸せにし、幸せな人に救済は不要である。人生を否定的に捉える仏教は不要とされ、業の問題が理論上消去されることになるのである。
しかし、すべての人々が尊厳をもつことになれば、人はすべて善なる存在であり、悪なる存在は存在しないことになる。さらには悪なる行為も存在しないことになり、いわば何をやってもよいことになってしまう。ここから、「現世に寓居の修行」という観点が要請され、それに伴って死後の裁きが強く要請されることになるのである。私たちが修行しなければならない存在である限り、霊魂ないし人の頼りなさ・不完全さが露わとなり、方向としては仏教的思想構造に近づいてゆくことになるだろう。もちろん、行為の善悪だけが問題となり、存在は善なるものとして固定化されているのであるから、改めて業を捉えようとするわけではない。霊魂の尊厳は、大局的には安定しているというのが篤胤説である。大局的に安定しているなら、勤勉に努力しさえすればよい。篤胤の想定する幽冥界での裁きは、努力しないものを裁くという道徳論にほかないものなのである。これは、近代の儒者西村茂樹(1828-1902)に先立って、仏教を退けつつ敷かれた道徳学の路線であったといえよう。篤胤の提示する道徳は、神を敬うことと、儒学の徳目を合わせたものであった。篤胤において近代日本の国民像の一部がすでに用意されつつあったのである。(pp250-pp251)