宮城公子『幕末期の思想と習俗』

幕末期の思想と習俗

幕末期の思想と習俗

是香によれば、人の死後、霊魂は産須那社へ行きその「使令」つまり審判をうけるが、その際に生前に「仁慈忠誠」、「職域奉公」にはげんだ良善の人は抜擢せられ「神位界」に入り、「造化の幽役〈カミノゴヨウ〉」に従う。逆に不忠・不義・不孝の凶悪の人は「凶徒界」に墜ち、天狗・妖魔の群党となって辛苦艱難するという。だから現世において良善の人が不幸におわったとしても、また逆に凶悪の人が僥倖をつかんだとしてもそれは仮のものにすぎず、幽世での審判こそ真のものという。さらに幽冥神は人の心のうちを見通すものであったから、悪心よりする善行、つまり偽善の行為にも審判が下され「凶徒界」に墜ちる。逆に善心から発した行為が報われず、不幸のうちに怨念をいだき死んだとしても幽冥界はその善心を見捨てはしない。こうした例としてよくあげられるのは菅原道真であるが、道真は死後一度「凶徒界」に入りその怨をはらすが忠誠心を神は見落さず、やがて「神位界」に登用せられ、神として祀られているという。・・・・・・是香にみられるような「応報」の思想は矢野玄道の『八十能隈手』、佐藤信淵の『鎔造化育論』、鈴木重胤の『世継草』等々にもみられ、篤胤門の国学の顕著な特質である。篤胤を継ぐ人々の間でのこうした「応報」の思想の発展は「幽冥政」での審判によせる大きな期待であり、現世の人間をとりまく不条理に対する救済の熱望の高揚であろう。(pp257-pp258)