テツオ・ナジタ『Doing思想史』(3)

徂徠のテクストで何度もくり返される主題は、人の徳は、親でもなければ政治家でもなく、君子でもなければ先王でもない、天からあたえられたものだということです。権力者たちは天を知ることもできず、したがって人の徳に手を加えることはできないと徂徠はいいます。人がなすべきことは、ひとりひとりの人間にあたえられた徳を養う環境を整えることであり、天賦の徳に干渉してはならないと。そして、人は完全に知ることのできない天にたいしてみずからの限界を知るべきであると。徂徠にとって政治の使命とは、天が人にあたえてくれたものを育て養うことであり、それを強制的に変えたり抑圧することではありませんでした。

徂徠が意味した天賦の徳とは、ひとりひとり固有のものです。そして個人に課せられた使命とは、その徳を実現するように励むことです。たしかに徂徠の議論は、政治をめぐって展開されましたが、「徳は得なり」という言葉にも表れているように、徳をどう実現させていくかという個人の実践の問題も取り上げていました(これは十七世紀の京都で活躍した町人学者、伊藤仁斎の取り上げた問題でもあります)。(pp180)