2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

 「哲学への権利」上映会&討論会(立命館大学)参加記

大学で開催された西山雄二先生(首都大学東京)監督作品「哲学への権利」の上映会&討論会を拝聴してきました。まずキャンパス内でも他学部の学生は、あまり関係していない建物に入ることは機会がない限りなかったので、充光館には「初潜入」でした。そこで…

 〓gnes Heller氏について

英語版ウィキペディアが詳しいです。今回の〓gnes Heller氏の発言は動画でみれますので、貼り付けます。

 ハンガリー政府による哲学者たちへの弾圧に関しての続報

Hungarian Watchを見ていたら、フィデス首相の「反ユダヤ主義」の問題が書かれていました。以下、抜粋します。 Fidesz and Philosophy=Oil and Water In Uncategorized on February 14, 2011 at 11:21 amApparently, Fidesz doesn’t think much of academia.…

 ハンガリー政府による哲学研究と哲学者への弾圧について(2/3付)

私は昨日になり、この問題について知りました。ドイツ・ヴッターハール大学教授で、主に現象学を専門としているラズロ・テンゲイ(Laszlo Tengelyi)氏は、ハンガリー政府による哲学研究への抑圧を強く抗議し、様々なメディアに呼びかけて、署名活動をしてい…

 バトラー.J『ジェンダー・トラブル』(5)

いわばつねにジェンダー化されていない人間など、これまで存在していただろうか。ジェンダーのしるしは、身体を人間の身体として「資格づける」もののようである。赤ん坊が人間化される瞬間は、「これ(it)は男の子か女の子か」という問いに答えられるとき…

 バトラー.J『ジェンダー・トラブル』(4)

第3章「攪乱的な身体行為」より。 『性の歴史』でフーコーは、解放主義や自由主義のモデルとしてセクシュアリティを捉える見方に対して、はっきりと反対の立場をとっている。そういったモデルは、カテゴリーとして――つまり権力関係を曖昧化する「結果」とし…

 バトラー.J『ジェンダー・トラブル』(3)

わたしが示唆したいのは、フェミニズムの主体の前提をなす普遍性や統一性は、主体が言説をつうじて機能するときの表象上の言説の制約によって、結果的には空洞化されてしまうということである。実際フェミニズムに安定した主体があると早まって主張し、それ…

 バトラー.J『ジェンダー・トラブル』(2)

しかしながら、主体概念を支える基盤主義の虚構のほかにも、女たちという語が共通のアイデンティティを意味すると仮定したときにフェミニズムが遭遇する政治問題が、もうひとつある。女たちという語は、それが記述し代表しているつもりの人々の合意を得るこ…

 バトラー.J『ジェンダー・トラブル』(1)

ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの攪乱作者: ジュディスバトラー,Judith Butler,竹村和子出版社/メーカー: 青土社発売日: 1999/03メディア: 単行本購入: 4人 クリック: 74回この商品を含むブログ (65件) を見るGender Trouble: Feminis…

 ヤング.J『排除型社会』(7)

第6章「まとまりのある世界とバラバラの世界」より。 確固たるアイデンティティを探し求め、人々は社会という船に乗り込んだ。すると奇跡のようであるが、詳細な海図には島の正確な経度と緯度が描かれていた。しかし、その島に近づいたそのとき、急に羅針盤…

 ヤング.J『排除型社会』(6)

本質主義を拒否するのであれば、多文化概念もまた捨てられなければならない。多文化主義は、さまざまな文化的本質をまるでモザイクのように並べ、それぞれの歴史的過去に接着しようとする。このような観点は、たんなる自然的エポケーにすぎない。つまり、そ…

 ヤング.J『排除型社会』(5)

私たちが書いたのは、本質主義にたいする批判だった。第一に、文化には時代を超えた普遍の本質など含まれていない。社会的条件が変わらなければ、文化もそのままの姿で変わらないだろう。しかし、状況が変化するときは、文化も急速に変化する。文化および下…

 ヤング.J『排除型社会』(4)

第4章「他者を本質化する」より。 私は、後期近代社会が深刻な存在論的問題を抱えていることを指摘した。もはや人々は、家庭生活と労働からなる安定した枠組みから、自己を「脱埋め込み」せざるをえなくなった。また、世界は確実性を失い、多様な選択肢が人…

 ヤング.J『排除型社会』(3)

すでにみたように、近代社会において〈逸脱する他者〉というのは、広く共有された絶対的価値観とは反対の存在であり、明らかに異質なマイノリティとしてあった。共通の価値をもたない少数者たちは、社会にとって脅威であるというよりも、むしろ少数であるが…

 ヤング.J『排除型社会』(2)

現代の能力主義を、才能と努力をもって業績が評価される競技場になぞらえるなら、そこには二つの競技コースがあって、その周囲にさまざまな観客がいる様子を思い浮かべることができる。第一の競技コース、すなわち正規雇用市場では、報酬は規定の基準にした…

 ヤング.J『排除型社会』(1)

排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異作者: ジョックヤング,Jock Young,青木秀男,伊藤泰郎,岸政彦,村澤真保呂出版社/メーカー: 洛北出版発売日: 2007/03メディア: 単行本購入: 4人 クリック: 56回この商品を含むブログ (51件) を見るThe Exclusive S…

 ドゥルーズ.G『フーコー』(2)

確かに私たちは、語や文や命題から出発することを強いられる。ただ私たちは、提起された問いにしたがって変化する限定されたコーパスにこれらを組織する。これはすでに「分布主義」の学派、ブルームフィールドやハリスの要求したことであった。しかし、フー…

 ドゥルーズ.G『フーコー』(1)

フーコー (河出文庫)作者: ジルドゥルーズ,Gilles Deleuze,宇野邦一出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2007/08メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 14回この商品を含むブログ (28件) を見る「新しい古文書学者」(『知の考古学』)より引用 『言葉と物』…

 ドゥルーズ.G『フーコー』(4)

あたかもマルクス以後ついに新しい何かが出現したかのようだ。国家をめぐる共犯関係が、ついに断ち切られたかのようだ。フーコーは、ある種の概念を再考しなくてはならない、と言うのにとどまってはいない。彼はそれを言うことさえしないで、ただそれを行な…

 ドゥルーズ.G『フーコー』(6)

「褶曲あるいは思考の内」より。 しかし、様々な条件が、条件づけられるもの以上に普遍的なものでも、定常的なものでもないとしても、やはりフーコーが関心を抱くのは条件についてなのである。だから彼はいう。歴史的な探究をするのであって、歴史家の仕事を…

 ドゥルーズ.G『フーコー』(5)

「地層、あるいは歴史的形成物」より。 私たちは、どのようにしてフーコーが、言表についての実に独創的な概念のうちに、表現の形態を発見したのかをみた。言表はシニフィアンのシステムよりは、はるかに音楽に近い斜線をしるしながら、様々な単位と交錯する…

ドゥルーズ.G『フーコー』(3)

新しい地図作成者(『監獄の誕生』)より引用 局在性の公準。つまり権力は国家権力であり、権力そのものは国家装置のなかに局在していると考えられている。そのため「私的な」権力さえ、見掛け上分散しているだけで、やはり特殊な国家装置にすぎないとされる…

 平野嘉彦『ツェラーンもしくは狂気のフローラ』(3)

ツェラーンの詩論には、つねにある二項対立が措定されているように思われる。すなわち、通常の用語法において「詩」であることの、しかし、実は「詩」などではない、ツェラーンの用語法における「芸術」と、それから、「私的」であるがゆえに、もともと「詩…

 平野嘉彦『ツェラーンもしくは狂気のフローラ』(2)

ツェラーンは、ブレーメン文学賞の受賞講演(一九五八)のなかでプコヴィーナのことを、「人々と書物が生きていた土地」と呼んでいた。「人々が生きていた」のはともかくとして、「書物」が「生きていた」とは、どういう意味だろうか。「書物、本(Buch)」の語…

 平野嘉彦『ツェラーンもしくは狂気のフローラ』(1)

ツェラーンもしくは狂気のフローラ―抒情詩のアレゴレーゼ作者: 平野嘉彦出版社/メーカー: 未来社発売日: 2002/03メディア: 単行本この商品を含むブログ (1件) を見る しかし、植物を名ざし、分類し、その成育条件を考えるということは、そうした営為は、どの…