2011-02-04から1日間の記事一覧

 ドゥルーズ.G『フーコー』(2)

確かに私たちは、語や文や命題から出発することを強いられる。ただ私たちは、提起された問いにしたがって変化する限定されたコーパスにこれらを組織する。これはすでに「分布主義」の学派、ブルームフィールドやハリスの要求したことであった。しかし、フー…

 ドゥルーズ.G『フーコー』(1)

フーコー (河出文庫)作者: ジルドゥルーズ,Gilles Deleuze,宇野邦一出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2007/08メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 14回この商品を含むブログ (28件) を見る「新しい古文書学者」(『知の考古学』)より引用 『言葉と物』…

 ドゥルーズ.G『フーコー』(4)

あたかもマルクス以後ついに新しい何かが出現したかのようだ。国家をめぐる共犯関係が、ついに断ち切られたかのようだ。フーコーは、ある種の概念を再考しなくてはならない、と言うのにとどまってはいない。彼はそれを言うことさえしないで、ただそれを行な…

 ドゥルーズ.G『フーコー』(6)

「褶曲あるいは思考の内」より。 しかし、様々な条件が、条件づけられるもの以上に普遍的なものでも、定常的なものでもないとしても、やはりフーコーが関心を抱くのは条件についてなのである。だから彼はいう。歴史的な探究をするのであって、歴史家の仕事を…

 ドゥルーズ.G『フーコー』(5)

「地層、あるいは歴史的形成物」より。 私たちは、どのようにしてフーコーが、言表についての実に独創的な概念のうちに、表現の形態を発見したのかをみた。言表はシニフィアンのシステムよりは、はるかに音楽に近い斜線をしるしながら、様々な単位と交錯する…

ドゥルーズ.G『フーコー』(3)

新しい地図作成者(『監獄の誕生』)より引用 局在性の公準。つまり権力は国家権力であり、権力そのものは国家装置のなかに局在していると考えられている。そのため「私的な」権力さえ、見掛け上分散しているだけで、やはり特殊な国家装置にすぎないとされる…