ルイ=ジャン・カルヴェ『社会言語学』(4)

言語を「コミュニケーションの道具」にまとめあげるような言語の定義に対してなされうる非難の一つは、そうした定義が、言語とその話し手との間の中立的な関係を盲信させかねない、というものである。事実、道具とは、必要なときに手に取り、その後、元にしまうような用具のことである。ところが、われわれの自他の言語に対する関係は、必ずしもこの類のものではない。われわれは、釘を打つ必要が生じた際に金槌を手にするのと同じように、コミュニケーションの必要が生じた際に、工具箱から道具としての言語を取り出し、その後、工具箱に戻す、といったことをするわけではない。実際のところ言語や言語の変種、はたまた言語を用いる人びとに対する、話し手のありとあらゆる態度や感情が存在している。こうしたことから、言語を単なる道具と見なすような分析は、表層的たらざるをえない。金槌を好んだり好のまなかったりすることは可能だが、そのことは釘の打ち方を一向に変えることがない。ところが、言語に対する態度は、言語行動に対して影響を及ぼすのである。(pp70)