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ペルニオーラ.M『無機的なもののセックス・アピール』(9)

感覚するモノという中性的セクシュアリティにとって、個の独立、ペルソナの自律、主体の自由といった概念は、意味を欠いた言葉である。なぜならっ心と身体がその同一性において成立しうるのは、無機的な凝集力の魔力から決定的に逃れるときであり、まさにモノであることをやめ、精神や生へと生成するときだけだからである。いかなるモノもーーシェリングいわくーーその存在の原因をそれ自体のうちに有することはない。感覚するモノにたいして、「中立でいなさい keep central」、「自足しなさい」、「あなたの自律を勝ち取りなさい」などと言うことは意味をなさない。なぜなら感覚するモノは、まるで吸い込まれるように磁石に魅せられ、求められ、惹きつけられたもののうちにのみ存在するからである。したがって、無機的なもののセックス・アピールは、戦略を駆使した誘惑、視線の魔法によって行使される魅惑、儀式や祭式の反復という魔術に参照される魅力といった、表面上は類似しているかにみえる観念とは異なるものである。(p107)